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★加藤和彦 首つり自殺

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2009年10月17日自殺

あの素晴しい愛をもう一度」 など多くのヒット曲で知られる音楽プロデューサー、加藤和彦が17日午前9時25分ごろ、長野県軽井沢町のホテルで首をつって死亡しているのが見つかった。パソコンで打った遺書のようなものがあり、軽井沢署は自殺とみている。関係者によると、加藤さんはうつ病を患っており、親しい知人複数に、「もうやりたいことがすべてなくなった」などと書いた手紙を送っていた。

軽井沢署によると、加藤さんは16日、1人でホテルを訪れ、1泊2日の予定で宿泊。17日午前8時15分、加藤さんの30代の知人女性からホテルに「客室の男性と連絡が取れない。室内を確認してほしい」と通報があり、従業員が部屋に内線電話をかけたが、応答がなかったため同8時半ごろ、110番した。

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駆けつけた署員が部屋に入り、浴室のはりにロープのようなものをかけて、首をつって死亡している男性を発見。知人女性と音楽関係者の男性が加藤さんと確認した。検視の結果、死亡推定時刻は16日午後9時半と判明したという。加藤さんは数日前、知人女性に電話で「死にたい」などと漏らしていたといい、その後、連絡が取れなくなり心配になった女性が、加藤さんの訪れそうな場所を捜し、ホテルに問い合わせた。

部屋には旅行バッグと関係者宛てのパソコン打ちの2種類のメモがあり「お世話をかけます」など自殺をほのめかすような内容。同署は自殺とみて詳しく調べている。加藤さんの遺体は男性関係者に付き添われ17日午後6時に同署を出た。東京に向かったとみられる。

親しかった知人によると、加藤さんはうつ病を患っていたという。この知人には「もうやりたいことがすべてなくなった」などと綴った手紙を送っていた。他にも、フォークルの仲間だった北山修さんら親しい友人複数にも同様の手紙を送っていたとみられる。

また、別の音楽関係者が1カ月ほど前に会った際には、「自分が思ったような音楽が作れなくなった」と悩みを明かしていた。死を選んだ軽井沢にはスタジオがあり、度々訪れるなどお気に入りの場所だった。

最後のステージは、先月20日に静岡・つま恋で行われた、南こうせつ主催の野外ライブ。ゲストとして登場し元気な姿を見せていた。
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11月5日には都内で大腸がん撲滅キャンペーンのコンサートを主催するほか、
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12月には舞台版 「パッチギ!」 の音楽を担当することが決まっていた。
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ある音楽関係者が証言する。

「派手な暮らしぶりで知られた加藤さんですが、多額の借金で自宅マンションを手放すなど、ここ数年は金銭的に困窮していたようです。プライドの高い加藤さんが規模の小さい地方の音楽イベントにも積極的に出るようになり、『金に困っているのか』ともウワサになっていました」


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10月19日 「オールナイトニッポンGOLD 緊急特別番組 

加藤和彦さんを偲(しの)んで」 (午後10時~11時50分) では、9月28日収録分のインタビューのほか、加藤さんの知人、友人らからのリクエスト曲も紹介する。

ニッポン放送編成部は 「9月に収録をしたときの加藤さんは、作品をどう生み出すかなどについてとても明るく話してくれていた。まさか、こんなことになるなんて想像もしていなかったので、スタッフはみんなびっくりしています」とコメントした




17日、軽井沢のホテルで首をつって自殺した音楽プロデューサーの加藤和彦さん=享年62=は、知人にうつ病であることを告白、創作上の悩みも抱えていた。最後のインタビューとなった夕刊フジ「ぴいぷる」の取材でも、にこやかな笑顔の一方で、自身が抱えている葛藤の片鱗をかいま見せていた。

長野県警軽井沢署によると、加藤さんは16日に1人でホテルを訪れ、1泊の予定でチェックインしていた。室内から自殺をほのめかす内容の手紙2通が見つかった。あて名はなく、「音楽でやるべきことがなくなった」と書かれていたという。

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知人女性とともに加藤さんの身元を確認した仕事仲間の男性によると、加藤さんは数日前、残された遺書以外に10人近くの親しい知人あてに貴重なギターコレクションを贈っていた。それとともに遺書のような手紙も郵送。それぞれ内容が違うもので、うち1通には「葬式はいらない」と記されていたという。

軽井沢には、90年代にスーパー歌舞伎の音楽を手がけた時に訪れて以来、たびたび来ていたようだ。どうして最期の場所にここを選んだのかは分からない」(男性) 加藤さんと男性は20年来の知り合い。男性は「2年ほど前、雑談中にうつ病であることを告白された。『でも、いい先生が見つかったんだ』と話していたので、深刻には受け止めていなかった。ただ、音楽には妥協を許さない人で、創作上の悩みも抱えていたようだ」と肩を落とした。

 「葬式はいらない」としていた加藤さんだが、元「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーで、精神科医の北山修氏(63)や平沼義男(62)、はしだのりひこ(64)ら親しい友人と親族だけの密葬が19日、都内の斎場で営まれる。来月には「お別れの会」も開かれる予定だ。

 加藤さんは長く、うつを患い、1カ月ほど前から症状が悪化していたという。加藤さんは一体何に思い悩んでいたのか。先月28日に夕刊フジが行ったインタビューでは、時折笑顔も交えながら飄々と答え、その表情に深刻な悩みを抱える様子は見られなかった。しかし、天才ゆえの葛藤がかいま見える場面もあった。作曲について、「89点から92、93点ぐらいの曲はすぐできる。でも、120点じゃないとまずい」と説明。自らを追い込む性格であることがうかがえた。

90年代以降はもっぱらプロデュース業に専念していたが、その理由について聞くと、「一番つらいのが自分のプロデュース。自分のソロっていうのは十何年、いや20年以上作っていない。できれば(誰かに)お願いしたいなあと思っている。ただ、そういう人は現れてこないですけれど」と、ぽつり。

そのうえで、あるべきプロデューサー像について、「精神科のドクターみたいなもの。ポール・マッカートニーのような超大物でも、最近はみんなプロデューサーを付けているんです。ミュージシャンでもエンジニアでも、(創作の際には)精神的サポートが必要なんですよ」と話していた。そこに、天才ゆえの孤独がうかがえた。ある音楽関係者は「弱い部分をけっして見せない人だった」と語っているが、ひょっとするとプロデューサーの話は、加藤さんが最後に見せた“弱音”だったのかもしれない。



棺近くの台には笑顔の遺影と、加藤さんが関係者らにあてた“遺書”が置かれた。遺書にはパソコンで打たれた文字で、「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」などとつづられていた。白色のカーネーションを献花した参列者の多くは、この遺書に足を止め涙したという。

 最近はうつ病を患っていたという加藤さん。遺書公開の理由について、前出の関係者は「手紙は特定の人物にあてたものではなく、故人の最後のメッセージだと判断した」と説明した。


密葬にはミュージシャンのかまやつひろし、つのだ☆ひろ、高橋幸宏、「THE ALFEE」の坂崎幸之助ら音楽仲間が参列。歌舞伎俳優の市川猿之助、市川右近らも姿をみせ、生前の交友関係の広さをしのばせた。つのだは涙を浮かべ「今日はちょっと…。語ることはありません」と悲しみの表情で車に乗り込んだ。

 「フォークル」の北山氏は最後のあいさつで、「加藤さんは周囲の人に優しく、自分に厳しいという二面性を持っていた。その厳しさで自分を責めていたのでは。今後は彼の歌を忘れず、彼の分まで生きよう」と参列者に訴えていた。

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出棺時、加藤さんと3年間交際し同居していた30代の女性が遺影を胸に抱いていた。別の関係者によると、加藤さんの関係者らにあてた遺書が、一番早く届いていたという。肩まで伸びる黒髪を後ろでまとめた美形の女性は、加藤さんを乗せた車に乗り込むと、集まった約50人の報道陣に涙を見せず、悲しみの表情で正面をじっと見つめたまま。クラクションと同時に発車すると、深々と頭を下げていた。

by a19750601 | 2009-10-18 05:14 |