軽井沢…玉置浩二が生まれ変わった

さっちゃん、軽井沢…玉置浩二が生まれ変わった


クールでシャイでマスコミ嫌いだった歌手玉置浩二(46)が、心の底からの笑顔をふりまいている。約7年前に長野・軽井沢に居を移し、森の中で暮らし始めた。02年には約10年ぶりに「安全地帯」を復活した。音楽的にも精神的にも変化があった。破天荒で不健康な生き方からの180度の転換が、新アルバムのタイトル「今日というこの日を生きていこう」にも込められている。昔の玉置、そして今の玉置を語りつくした。

「いいもの」共有

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東京・六番町のソニー・ミュージックエンタテインメント。玉置は妻のさっちゃんこと安藤さと子と一緒に現れた。わずかな時間で、昔のイメージと全く違うことに気付かされる。やんちゃ、破天荒、危険なにおい、アウトロー…。コンサートをドタキャンしたこともあった。しかし、目の前の男にそんな気配はみじんもない。底抜けに快活で、よく話し、よく笑う。そして視線がひんぱんに、さっちゃんに戻る。

「奥さんは、音楽の相棒です。一緒にいいものを確認できる存在かなぁ。何か自分が確認したい時ってあるじゃないですか。確認したらまずいやつと、この人だったら信用できるなあって人がいるでしょ。さっちゃんはその確認できる人。一番の理解者。お互いに信頼し合っているし、僕のつくったものを信じてくれる。『こうした方がいいんじゃない』とは言わないし。『だめだ、おれは』なんてことがあると、大丈夫だよって元気づけてくれる」。

2人は同年代だが、まるで20代前半のカップルのようにラブラブ。カメラマンいわく、さっちゃんを見つめる時の笑顔が最高なんだそうだ。さっちゃんはキーボード奏者で、玉置の楽曲の編曲なども担当している。

「ステージに一緒にいるだけで安心する。ステージでさっちゃんがノっているか気になっちゃう。ノってれば自分も楽しくなるし、そうじゃないと心配になるんです。キべてまかせているし、もう頼っていますから。いなくなると? もうよれよれですね」。

たまに別の仕事場に行くときは、さっちゃんが持っていくものを机の上に並べて置いてくれるという。

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「僕はそれをきちんと持たなくてはいけないんです。マネジャーに預けようかなと思うんだけど、いや自分できちんと管理しようと、ポケットに入れてファスナーを閉めるんです。にもかかわらず、カギをなくしてしまいました。駐車場のかぎ。頑張っていたのにねぇ。落としちゃった」。

笑顔、多弁…。どこからみても、昔とは別人だ。

移り住んで7

玉置を変えたものは環境だった。98年に長野・軽井沢に移り住んだ。約20年間、公私ともに波乱の多いレールを全力疾走してきた。その後にふと訪れたエアポケットのような間(ま)。「東京でのレコーディングが嫌になった」時期だったという。軽井沢のスタジオを紹介された。「そうしたら、あまりに環境がいいんで」そのままマンションを借り、この場所でも仕事を続けられるかを確かめ、最終的に家を建てた。ソロ活動をしていた95年からバックバンドに参加。いつの間にかなくてはならない存在になっていたさっちゃんとも、99年に入籍した。

 「もともと北海道の田舎生まれですから。東京に長く暮らすと慣れてきて、踏み外したこともたくさんあって。そろそろ自然の中で暮らしたいと思っていたんですね。性格も変わりましたよ。以前は破天荒で、とにかく忙しい人間でした。タバコも酒もやめて。車も安全運転。気持ちも安らげるようになりました」。

玉置家は森の中にある。毎朝、鳥のさえずりで起こされる。「東京の人は騒音に感じるぐらいかも。車の音は気にならないだろうけどね」。創作活動に行き詰まったときに家の周りを散歩するだけで、頭の中がすっきりするという。
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 「シーンと静まり返った、しんしんとした夜ってのがあるんです。そんな時、ちょうど天窓からきれいな月が見えるんですね。2人でよく映画を見るんですが、そんな時は部屋を暗くして、月明かりだけで、画面を見つめるんです。そうすると、いろんなことを考えるんですよ。今日1日何ごともなかったことに感謝する気持ちになるんです」。

 「東京では、内面よりも行動が重視されていた。世の中全体がそうなんでしょうけど。人も、車も、街も。東京ではその行動自体に問題を見いだしていたんです。でも軽井沢だと、人のあつれきもないし、車も少ないし、周りは何もなし。そうなると逆に、問題が自分の内面に向かってくるんです。ちょっと、宗教っぽく感じるかもしれませんが、内なるものに呼び掛けるようになるんです。例えば、地球の反対側のだれかの悲しみは、自分の毎日の行いに関係があるんじゃないかと思ったり」。

そんな気持ちが、16日発売の新アルバムにも自然ととけこんだ。タイトルは「今日というこの日を生きていこう」。

 「ここ数年、自然災害が多い。悲惨な事件も続いている。世の中は大変なのに、自分は大好きな奥さんと森の中で、違うテンションで暮らしている。いい意味で何ごともなくね。ありがたい毎日に感謝することが、このタイトルのような気持ちにさせるんです」。

後悔から逃げず

 心に生まれた余裕のせいか、自分の走ってきた道もじっくり振り返っている。“後悔”からも目をそらさず、しっかりと受け止めている。歌手であると同時に、一時期、俳優としても活躍した。最初は86年の映画「プルシアンブルーの肖像」。ドラマも「並木通りの男」「キツイ奴ら」「コーチ」など人気作品に立て続けに出演し、独特の存在感をみせた。そんな二足のわらじについて聞くと「いい経験をさせてもらったと思います。影響もすごく受けました。楽曲も変わったし」と切り出したが-。

 「今思っているのは、音楽だけやっていたかったなってことなんです。結果的にはよかったんですけど、芝居をやったことによって、自分が歌を大事にしていくって感じ、方向が曲がったのかなって。自分自身もそうだし、ファンの方もね。過去は戻らないからどうしようもないんだけど、音楽だけをやっておけばよかったなあ~、みたいのがちょっとね。ずっと続けていたらどうなっていたんだろうってことに興味があるんです。だから、よほどのことがない限り、役者さんをやらしてもらうことはたぶんないと思うんです」。

本業についても、これまでの轍(わだち)を振り返った上で、まだ結論が出ていないことを率直に告白した。中学校時代の同級生と73年に安全地帯を結成。82年にデビューした。「ワインレッドの心」などヒットメーカーとなり、87年にソロ活動も始めたが、そこでもミリオンヒットを飛ばしている。バンドは92年にいったん解散したが、02年に活動を再開させた。玉置が望む方向性通りのバンドだった。かつて「ワインレッドの心」がヒットし、その路線を踏襲するためにできなかった音楽だったという。それでも、今はまたソロもやっている。

 「バンドを続けている方が大変ということ分かりますか? いろんな意味で続けていった方がいい。仲間だし。でも、何かはがゆいものもあるんです。自分1人でソロをやった方が気楽だという面もあるし」。


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肩の力を抜いて


 昨秋、イーグルスの来日公演をみた。ドン・ヘンリー中心だが、ボーカルが入れ替わる。グレン・フレイもジョー・ウォルシュも存在感があった。それがバンドだと痛感したという。その直後のスティングの来日公演は違った。

 「2曲目がポリスの曲だったけど、イーグルスと違って、スティングの場合はソロでもポリスでもスティングなんです。曲は全部スティングだし。だから、どちらかというと僕はスティングに近いのかもしれません。バンドとしては、イーグルスにあこがれ始めてたんだけどね」。

 どんなバンドにもいつかは解散の時がくる。玉置1人で楽曲をつくり、歌ってきた安全地帯のようなケースはなおさらだ。その難しさを無理に解決しようとせず、肩の力を抜いて受け止めていこうという柔軟でしなやかなスタンスが、今の彼にはただよう。ソロかバンドか。変身した玉置がどういう道のりを歩いていくかは、本人にも見当がつかないというが、その味わいは熟成したワインのように深みが増しているはずだ。

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◆玉置浩二(たまき・こうじ) 本名同じ。1958年(昭和33年)9月13日、北海道旭川市生まれ。高校在学中に安全地帯を結成。81年、歌手井上陽水に認められバックバンドを務める。84年「ワインレッドの心」をはじめ「恋の予感」「悲しみにさよなら」など数多くのヒットを飛ばす。92年に安全地帯の活動を休止。ソロ活動に加え、86年「プルシアンブルーの肖像」で映画デビューするなど俳優としても活躍。86年4月に前々妻と離婚。91年1月に女優薬師丸ひろ子と再婚したが、98年6月に離婚。99年12月に安藤さと子と入籍した。
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by a19750601 | 2005-02-20 10:47