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フリーアナウンサー 松宮一彦 自殺

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TBS出身のフリーアナウンサー松宮一彦(まつみや・かずひこ)が
1999年9月28日午前1時ごろ

東京・渋谷区の自宅マンションで、首をつって死亡しているのを交際中の女性が発見した。警視庁代々木署では自殺とみている。遺書などはなかった。松宮さんはTBSテレビ「ザ・ベストテン」などに出演していた人気アナウンサーで、昨年同局を退社してフリーになった。今年春に愛人騒動が持ち上がり、この影響もあって仕事を失い悩んでいたという。

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交際女性が発見

 代々木署の調べによると、松宮さんは自宅マンションの玄関内側のドアノブにネクタイを輪にして結び、首をつって自殺していた。松宮さんと交際中の女性が28日午前1時17分ごろ、合いカギを使って部屋に入ったところ、松宮さんの遺体を発見した。死亡推定時刻は27日午後4時ごろとみられている。松宮さんはパジャマ姿で、両足を前に投げ出ししりを床に付けるような姿勢だった。遺体は同署に搬送され、早朝に駆けつけた松宮さんの母親が引き取った。

遺書はなかったが、同署では状況などから自殺とみている。松宮さんは今年3月、所属事務所社長Aさん(43)と愛人関係にあったことを女性誌などに報じられた。それによると、松宮さんはAさんと30年越しの交際を続けていたが、昨年夏に松宮さんの運転する車が事故を起こし、同乗していたAさんが大けがを負った。それを境に、松宮さんが急に冷たくなり、別離を言い出したという。

自殺未遂騒動も
 報じられた直後、松宮さんはファクスでAさんあてに「自殺する」と予告状を送り、警察が出動する騒動も起こした。一連のスキャンダルの影響もあって、松宮さんはラジオのパーソナリティーなどを打ち切られ、仕事のない状態となっていた。松宮さんは3度の離婚歴があるが、知人は「離婚した妻たちへの慰謝料の支払いも残っていた。経済的に苦しんでいたようだ」と証言する。

愛人の事務所に
松宮さんは日大芸術学部を卒業後、1976年(昭和51年)にTBSに入社。同期には現フリーアナの生島ヒロシ氏(48)らがいる。当時の同局の人気音楽番組「ザ・ベストテン」で、コンサート会場などからの生中継のリポートを担当し、“追っかけマン”として売り出した。

スキーはプロ級の腕前で、明るく快活なスポーツマンのイメージで人気を集めた。朝の情報番組「おはようクジラ」のスポーツキャスターなどを経て98年(平成10年)にTBSを退社、フリーで活動していた。

 松宮さんは、愛人騒動が持ち上がった後もAさんの事務所に在籍するなど奇妙な関係を続けていた。Aさんは自殺の報に「新しい仕事がようやく決まったばかり。なぜ自殺したのか分からない」と絶句したという。通夜、葬儀などは行わない。


愛車にはホコリ
松宮さんが自殺した渋谷区内の自宅マンションは、タイル張りの3階建て。郵便受けにはこの日の新聞や郵便物が残っていた。1階駐車場には、愛車の赤いアウディが止められていた。近所の人は「ほとんど使っていなかった様子」といい、車もほこりまみれのまま。運転席と助手席には、おそろいのハワイのTシャツがかぶせられていた。後部のボードには趣味のスキー用ヘルメットやサイン入りの台本が置かれていた。同じマンションの住人は「いつも見かける時は1人だった。リュックを背負ってさっそうと仕事に出かけていくという感じだった」と話していた。

私生活では3度結婚したが、1人目は1977年に番組で知り合った女性と1980年に離婚。2人目は1981年にアシスタントと1983年に離婚。3人目は1988年にラジオ局関係者と1995年に離婚[14]と、いずれも子供には恵まれなかった。

1998年6月、管理職には向いていないと嫌ってTBSを退社しフリーに。

約30年来の友人で元恋人でもある女性が社長を務める芸能事務所に所属。1998年9月、この女性を乗せて車の運転中に交通事故に遭遇。女性は重傷を負い、下半身に重い後遺症が残ったことから、補償問題でもめるなど表面上には不仲となった。ただし、騒動後もこの女性の事務所に在籍し、一方で交際も続いた。

1999年9月28日、自宅で首を吊り縊死しているのを、当時交際中の女性が合鍵を使って松宮の自宅に入った際に発見された。

その女性は英会話学校の講師を務めていて松宮と知り合い、交際に発展したと報道された。死亡推定時刻は前日午後4時。
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by a19750601 | 2001-01-10 10:40

★桂三木助 自宅で首つり自殺

オヤジのコピーでいいのか…桂三木助さん自殺の真相


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2001年1月3日に自宅で首つり自殺した落語家、

4代目桂三木助(本名・小林盛夫、享年43)。

遺書はなく、その死は謎に包まれていたが、

実姉で三木助さんのマネジャーだった小林茂子さんが

自殺の真相を告白した。

名人といわれた3代目の長男として大きなプレッシャーがかかる中、亡くなった三木助さん。「うつになってはじめて、弟の死んだ気持ちが分かった」と茂子さんが初めて明かした。

自身も昨年、うつ病を克服したことから、「どういう思いで弟が亡くなったかを伝えるのは私しかいない」と語る心境になったという。

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茂子さんによると、三木助さんは2000年12月に医師から「うつ病の可能性が高い」と診断されていた。

だが茂子さんは、三木助さんとやりとりしていたノートで、仕事に遅刻や無断欠席が目立つと叱咤激励。三木助さんは「姉貴へ やる気がない訳じゃない。

今後、どういう芸人になるか思案はしているが、オヤジのコピーでいいのか」「四代目として立派になりたい。姉貴を名マネジャーにしたいが、思うように気持ちを返せないもどかしさがある」などと苦悩をつづっていた。

茂子さんの長男(24)は家族の反対を押し切り03年に入門。

06年、二つ目に昇進し、3代目三木助の前名、桂三木男を襲名した。遺志を継ごうと精進しているという。


遺書なく

三木助さんが発見されたのは3日午後1時25分ごろだった。警視庁滝野川署などによると、三木助さんはこの日午後2時から東京・浅草演芸ホールでの高座を控えていた。母の仲子さんが、昼すぎになっても起きてこない三木助さんを起こしに1階東側の自室へ行ったところ、ジャージー姿でベランダの物干し用フックに和服のひもをかけ首をつっているのを発見した。すぐに119番通報し、自宅に近い都立駒込病院に搬送されたが、既に意識不明の重体で、午後2時5分に死亡が確認された。遺書などは見つかっていない。遺体は午後5時すぎ、自宅に戻った。同署は自殺とみて動機などを調べている。

この日夜、姉でマネジャーの小林茂子さん(45)が会見した。「昨年11月ころから、芸のことで悩んでいたようです。三木助という看板のプレッシャーで、つらいものを全部自分で背負っていた。今は、1階の和室で、非常に安らかな笑顔で眠っています。よく、ここまで頑張ったね、と声を掛けてあげた」と涙声で話した。

茂子さんによると、1997年(平成9年)12月に、芸術祭で演芸部門優秀賞を受賞してから、上を目指す気持ちが強くなったという。茂子さんは「自分の目指す芸の世界と、現在の自分との距離がかけ離れていて落ち込んでいた。落語で認められたいという気持ちが強かった」と話した。

言動異変

三木助さんは前日の2日には元気に高座をこなしたが、関係者によると、昨年11月ごろから、そううつの状態が激しくなり、突然、連絡が取れなくなることもあった。元日に東京・目白の柳家小さん(86)の自宅で行われた柳家一門の新年会と、2日夜に同所で行われた小さんの誕生日会は、それぞれ連絡もなく欠席した。2日夜は自家用車で外出したが、家人によると3日午前6時には車が戻っていたという。

落語協会によると、三木助さんは昨年12月1日から10日まで東京・池袋演芸場で若手数人が出演する高座をプロデュースしたが、3日目以降、1度も顔を出さなかった。また、意味不明なことを口走ることもあり、周囲では「言動がおかしい」と話していた。

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by a19750601 | 2001-01-03 20:04 |

21世紀

今日から


21世紀なんだよ。

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by a19750601 | 2001-01-01 00:00 |