酒井法子本格的復帰しそう


 「東京ガールズコレクション(TGC)イン 北京」が

中国で初の本格的ファッションショーとし

て今月7日に開かれました。

大成功を受けて来春にも日中共同で大規模ファッションショーが

日本の福岡で開かれることになったのですが、

このイベントのカギとなるひとりが法子さん。

中国との懸け橋になった日本で最初の芸能人でもあります。

 法子さんのオーラは薄い水色。優しさと知性の色なのです。

多くの人に安らぎを与える理由はオーラにもあるようです。

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1971年2月14日生まれ。ドラゴンズヘッドは水瓶座です。その多くの過去世を国王や女王、エンターテインメントのスターなど特別な存在として生きてきました。ですから周りの人や聴衆に与える勇気やエネルギーは半端ではなくいつでも注目を集めていました。

 しかし、その分一般の感覚に乏しく、自分の行動によって起きる問題や責任の感覚が薄いようです。今までの過去世で、彼女を上から指導する人も少なかったので仕方ない部分もありますが、そんな過去世の生き方を改めて、人としての責任を学ぶために今世があります。

 いろいろなことがあった法子さんですが、非常に素直な性格をしている方です。今のまま過ごしていけば必ず復帰して、素晴らしい笑顔を見せてくれるに違いありません。

 
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酒井法子、映画制作者側と和解 上映中止問題

酒井法子が声優をしていた映画が覚せい剤事件のため上映中止となったことを巡る民事訴訟は、東京地裁で2011年5月31日に和解が成立したことが分かった。和解内容は明らかにされていない。

この裁判では、アニメ映画「大ちゃん、だいすき。」の上映中止で、制作者側が酒井さんと元所属事務所に約2100万円の損害賠償を求めていた。酒井さん側は、マスコミ取材に対し、コメントすることはないとしている。




4月9日、羽田空港に帰国した酒井法子
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by a19750601 | 2011-05-31 06:11 |

ZARD 坂井泉水 東京ラストライブ

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07年に亡くなったZARDのボーカル坂井泉水さん(享年40)の追悼ライブ「What a beautiful memory~forever you~」が、命日にあたる27日、東京・日本武道館で行われた。

ステージ上の351インチの巨大スクリーンに、04年の初ツアー歌唱映像と「私はいつも本当に言葉を、詞を、大切にしてきました。音楽で、それが伝わればいいなと願ってます」の肉声が流された。



デビュー曲「Good-bye My Loneliness」で口火を切り、B’z松本孝弘とコラボした「異邦人」(03年)が、貴重なレコーディング映像とともに演奏された。ゲストには、元FIELD OF VIEWのボーカル浅岡雄也が登場。コラボしたヒット曲「君がいたから」「突然」(いずれも95年)が披露された。

坂井さんがオーディションで歌ったアン・ルイスのヒット曲「六本木心中」が、デビュー前のカラオケ用貴重映像(90年)とともに演奏されるなど、初公開となる歌唱映像が21曲盛り込まれた。かつてZARDのライブメンバーだった総勢11人のバンドと坂井さんの歌唱映像がシンクロ。

負けないで」を出演者全員と総立ちの8000人ファンが大合唱し、2時間45分のステージを締めくくった。

坂井さんは07年5月、がん闘病中に都内の病院で転落死した。デビュー20周年の今年、「シングルコレクションBOX(全99曲収録)」と4種類の「20周年記念写真集」も発売された。ZARDはCDを3743万枚売り上げ(オリコン調べ)、90年代女性ボーカルアーティスト1位を記録している。

追悼ライブは2年ぶり4回目だが、今年がラスト。29日の大阪国際会議場で締めくくる。

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by a19750601 | 2011-05-27 23:14

のりピー 酒井法子本格復帰!

のりピー本格復帰! 

福岡で日中共同ファッションショー出演


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中国初の本格的ファッションショーとして今月7日、北京で開かれた「東京ガールズコレクション(TGC)イン 北京」が大成功したことを受け、来春にも日中共同で大規模ファッションショーが日本の福岡で開かれることが分かった。

キーマンのひとりは、さきごろ元女優、酒井法子の中国訪問を仕掛けた人物。のりピーの本格復帰がファッションショーとなる可能性もありそうだ。

構想から実現まで2年越しのTGCを成功させたのは、中国のプロデューサー、周帆氏。「中国では一般向けのファッションショーはなかっただけに、画期的なイベントになった」と満足そうで、鳩山由紀夫前総理もゲスト出演した。


この絆がきっかけとなり、日中国交正常化40周年を迎える来年、日中共同で新たなファッションショーの開催が準備されている。日本国内の複数の都市が名乗りを上げる中、いち早く動き出したのが福岡出身の俳優、吉川銀二。北京を訪れ“民間外交”を展開した。

吉川は「周さんはもちろん、福岡市の高島宗一市長とは古くから親交があります。福岡のために大きなイベントをやりたいと話し合ってきた。高島市長に打診したところ大変、興味を持っていました」と語る。

日中の橋渡しをする吉川に、周氏も大ノリ気。この周氏は先月、酒井の電撃的な中国訪問の際にアシストした人物としても知られる。中国要人と深いつながりがあり、胡錦濤国家主席とも強力なネットワークを持っているといわれる。


もし福岡開催となれば、郷土出身で中国とも結びつきが強い酒井に声がかかる可能性は強い。

「当然考えるでしょう。もしかしたら酒井が芸能界に本格的に復帰する足がかりとなるかもしれません」(イベント関係者)といった声も。

TGCの現場を統括した音楽プロデューサーの月光恵亮氏も全面協力を約束している。

月光氏はBOφWYやリンドバーグ、ZIGGY、田村直美、松田樹里亜らをプロデュースしてきた音楽業界の重鎮。現在は音楽プロデュースの場を中国に広げている。

北京で取材に同行した芸能ジャーナリストの渡邉裕二氏は、「吉川さんの福岡での開催に賭ける意気込みは相当なもの。周さんと月光さんの協力を得られれば、福岡での開催は間違いなく成功するでしょう」と話している。

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by a19750601 | 2011-05-25 12:40

元モー娘・市井紗耶香 離婚


元モー娘・市井紗耶香 離婚

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 市井紗耶香在籍時 ↑


市井紗耶香離婚 原因は「育児放棄」


アイドルグループ「モーニング娘。」の元メンバーでタレントの市井紗耶香(27)が、

5月23日に夫で元ギタリストの吉澤直樹さん(35)と離婚が発表された。

離婚原因の一つとして、吉澤さんの育児放棄を挙げ、

次第に不信感が募っていったとしている。

吉澤さんはギタリストをやめた後、定職についていない時期もあったという。

この日、市井の所属事務所は「離婚致しましたことは事実でございます」

とファクスで回答。原因については語らなかった。

市井は1998~2000年まで 「モー娘」 の一員として活躍。

同グループ卒業後は、02年に吉澤さん、

「シャ乱Q」のたいせい(41)と 「市井紗耶香 inCUBIC―CROSS」 を結成した。

03年に歌手生活引退を発表し、04年に吉澤さんと結婚。

6歳と4歳になる女児の育児に専念していたが、09年になって芸能活動の再開を発表した。

現在は雑誌 「Saita」 の専属、アパレルメーカー 「K―swiss」、「SACSNY Y’SACCS」 の

イメージキャラクターを務め、

来年は、主演映画「明日に架ける愛」(香月秀之監督)の公開を控えている。


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by a19750601 | 2011-05-23 23:23

俳優 長門裕之さん死去


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 「太陽の季節」「にあんちゃん」などの映画や多くのテレビドラマで活躍した俳優の長門裕之(ながと・ひろゆき、本名加藤晃夫=かとう・あきお)さんが2011年5月21日午後5時20分、肺炎と動脈硬化などの合併症のため東京都文京区内の病院で死去した。

77歳。京都市出身。芸能一家に生まれ、子役からの長い俳優生活だった。おしどり夫婦として知られた妻で女優の南田洋子さんは09年10月に他界。悲しみを抱えながら仕事に意欲を見せていた。葬儀・告別式の日取りは未定。

長門さんが最愛の妻のもとに旅立った。弟で俳優の津川雅彦(71)が午後11時過ぎから世田谷区内の兄の自宅前で会見。最期の様子を涙ながらに語った。

長門さんは昨年8月に心臓疾患で倒れ、大手術を受けた。経過は順調だったが、ことし2月に今度は脳出血でダウン。自宅で療養を続けたが、舞台復帰を夢見て4月から板橋区のリハビリ病院に入院していた。津川によると、最後の会話は3日前。「“新作映画を撮る。兄貴も出てくれよ”というと“よし”と前向きに意欲を見せていた」と明かした。

20日まで元気だったが、この日昼すぎに容体が急変。主治医のいる文京区の病院に移送したが、既に意識がなかったという。医師は心臓マッサージを続ける一方で、午後3時すぎに津川に連絡。「自分が行くまでなんとか、もたせてほしい」の願いもむなしく息を引き取った。臨終は俳優修業中の弟子がみとったという。

遺体は午後9時15分に世田谷区の自宅に無言の帰宅。津川と妻で女優の朝丘雪路(75)は30分前に駆けつけ、兄の亡きがらを迎えた。

芸能界でも屈指のおしどり夫婦として知られた南田さんとは61年3月に結婚。56年に公開された映画「太陽の季節」で共演したのがきっかけだった。フジテレビの音楽番組「ミュージックフェア」の司会を2人で65年から約16年間務めた。

愛妻家の顔を持つ一方で、浮名も多く流した。85年11月に出版した「洋子へ」では、奔放な女性関係を実名で赤裸々に暴露し世間を騒がせた。この騒動で、CMの降板などを余儀なくされ、芸能活動には大きなダメージとなった。

05年に南田さんが認知症を発症。08年秋にテレビ番組で公表し、闘病の様子と長門さんの献身的な介護ぶりが話題を呼んだ。暴露本「洋子へ」の罪滅ぼしの意味もあったと話していた。

しかし、介護のかいもなく、南田さんは09年10月21日にくも膜下出血で死去。同30日に営まれた告別式で長門さんは「凄い喪失感と失恋を久々に味わわせていただいた」「いとしい、いとしい、いとしい、いとしい洋子」とあいさつし、参列者の涙を誘った。三回忌を前に、長門さんは“いとしい妻”のもとに向かった。



◆長門 裕之(ながと・ひろゆき、本名加藤晃夫=かとう・あきお)。1934年(昭9)1月10日、京都市生まれ。61年に結婚した南田洋子さんとの事務所「人間プロダクション」を74年に設立。59年に映画「にあんちゃん」でブルーリボン賞主演男優賞、63年に「古都」で毎日映画コンクール男優助演賞。
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by a19750601 | 2011-05-21 23:40 |

俳優 児玉清さんが死去

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俳優で、テレビ司会者や書評家としても活躍した

児玉清(こだま・きよし、本名・北川清=きたがわ・きよし)氏が

16日午後0時28分、胃がんのため、東京都内の病院で死去した。

77歳。東京都出身。

通夜は20日午後6時、葬儀・告別式は21日午前11時半、

東京都文京区大塚5の40の1、護国寺桂昌殿で。喪主は妻、北川好子(よしこ)さん。


昭和9年生まれ。学習院大学時代は演劇部で、

篠沢秀夫氏(現学習院大学名誉教授)らと活動。卒業後、

東宝の新人俳優公募コンテスト「ニューフェース」に合格し、

映画俳優として、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」などに出演する。

一方で、テレビ俳優としても活躍。

「ありがとう」「白い巨塔」「HERO」「トップキャスター」など

数々の人気連続ドラマに出演した。

読書家としても知られ、

NHKの書評番組「週刊ブックレビュー」の司会を務めたり、

産経新聞などや雑誌の書評連載もこなしていた。

昭和50年にテレビ朝日系で始まったクイズ番組

「パネルクイズ アタック25」の司会を担当。

一般出場者を気遣う知的で誠実な司会ぶりがお茶の間の

幅広い年齢層で支持され、30年を超える長寿人気番組に育てた。




★過去記事 (クリック)
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by a19750601 | 2011-05-17 19:31

上原美優 自殺

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タレントの上原美優(本名・藤崎睦美=ふじさき・むつみ)が12日未明、東京都目黒区中央町の自宅マンションで首をつっているのが見つかった。上原さんは搬送先の病院で死亡が確認された。警視庁目黒署は自殺とみている。


関係者によると、同日午前2時すぎ、マンションを訪れた知人が首をつっている上原さんを発見、119番通報した。救急隊が駆け付けたときには意識がなく、約1時間半後に死亡が確認された。上原さんは居室のドア付近で首をつっていたという。遺書の有無など詳細は不明。5月2日に誕生日を迎えたばかりだった。

 上原さんは5月10日に更新した自身のブログに「リアルに私、恋愛ができない」「今日の上原さんおかしいです」と、恋愛面での悩みをうかがわせる内容の文章を掲載していた


12日朝、自殺の速報を伝えたフジテレビ系「とくダネ!」では生出演中だった姉貴分で女優の眞鍋かをり(30)が号泣した。眞鍋は上原さんと親しく、上原さんのブログに2人で楽しく食事する様子などが頻繁に紹介されていただけに、突然の悲報に言葉を失っていた。芸能評論家の前田忠明氏は「恋人がいたが、うまくいかないと悩んでいた」と話した。

 上原さんは鹿児島県種子島出身。2006年にレースクイーンとしてデビュー後、グラビアなどに登場するかたわら、10人兄妹の“大家族貧乏アイドル”として人気を集めた。「花や草がおやつ」「7枚のパンツを姉妹で奪い合い」といった貧乏エピソードを告白。愛らしいルックスとのギャップで、バラエティー番組で一気にブレークした。

 その一方、一昨年5月に出版した自叙伝で、荒れていた鹿児島での高校時代や、その後の壮絶イジメによる退学、上京後の薬物自殺未遂といった衝撃的な過去を告白。テレビ番組では、鹿児島時代に2人の男に暴行された過去を明かしたことも。最近では毒舌を売りにする新たなキャラクターとして売り出していたが、思うように仕事は増えず、本人も悩んでいたという。「こうした思い切った過去の告白が、逆にファン離れを加速させた」と同情する業界関係者も多い。
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最後のブログ全文

 リアルな話。2011/5/10 19:47

 今日の空嫌いだったーねぇ!皆さんリアルに私、恋愛が出来ないーーー恋多き女だった私が、、恋の仕方も、恋愛の仕方も、リアルにわかんなくなってる。てか完全焦ってるな私。だって今すぐフジテレビの廊下をめっさ叫びながら走り回りたいもん。私の周りはどんどんみんなHAPPYloveになって美優も嬉しいけどそうなんだぁって冷静保ってるけど本当の心の美優、ヤバいヤバいヤバいヤバいうらやましーーと叫びたいんよ。イヤ、皆さん今日の上原さんおかしいです。てか、最近気づいた前はね、てか昔はね、ハーってloveなため息ついてたの、。。でも、ハー疲れたぁってのため息だもん。好きな人がいると、幸せすぎて本当にご飯が喉を通らなくて空飛びたい気分でも今は、ご飯を食べてる時が幸せで時間があれば常に食べてる。リアル太って空も飛べない早く結婚したいのにまぢ焦るーーー汗って感じの上原なので、アドバイス求む。リアルに。美優
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by a19750601 | 2011-05-12 11:37

ホイットニー・ヒューストン、リハビリ施設入り

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ホイットニー・ヒューストンが薬物と麻薬問題の解決策を模索中だ。

2つの中毒問題を長年抱えるホイットニーだが、

10日前に自ら外来患者専用のリハビリプログラムに参加したことを

彼女のスポークスパーソンが認めた。

People.comに代理人は「ホイットニー・ヒューストンは

現在麻薬とアルコール治療のため、

外来患者のリハビリプログラムに参加しています。

ホイットニーは長年に渡る治療を向上させるため、

自らリハビリ入りをしました」と語っている。


アンジェラ・バセットは5月9日、

1996年の『天使の贈りもの』以来映画出演していないホイットニーと共に、

1995年の映画『ため息つかせて』の続編に

取り掛かることを明かしていたため、

ホイットニーはこの映画復帰に向けて治療を受けていると考えられている。

ウェブサイトTMZに関係者は

「彼女は新作映画のために浄化しているんですよ」と話す。

同ウェブサイトによると、この治療プログラムは付き添いが

同行する限りは公の場に出ることを許可しているそうで、

ホイットニーは先週プリンスのコンサートに来場している姿を目撃されていた。

2009年にはオプラ・ウィンフリーとの

テレビインタビューにて自身がコカイン中毒であることを認め、

自身と元夫ボビー・ブラウンの麻薬使用は

1992年のヒット映画『ボディーガード』に出演して以降、

制御不能になったのだと語っていた。

「私とボビーはマリファナを混ぜて使っていたの。

1キロ単位で買っていたわ。パイプは使わなかったの。

巻いて吸っていたわ。まるでヘロインとコカインのスピードボール

みたいだったけど、マリファナでレベルが下がるわけ」

2011年初め、ホイットニーとボビーの娘、

ボビー・クリスティーナ(18)が、

元恋人からコカイン中毒だと言われていたが、

彼女自身はこれを否定している。
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by a19750601 | 2011-05-11 23:04

石井聖子、11年ぶり新曲

偉大な母のDNAを受け継ぐ女性シンガーが、

11年ぶりの新曲を世に送り出す。


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石井は1996年にシンガー・ソングライター、

岡本真夜(37)のプロデュースでデビュー。

“ラテンの女王”と呼ばれ、女優として

カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作「楢山節考」の

怪演で知られる母、坂本はパンチの効いた声の持ち主だったが、

一人娘は澄んだ歌声で魅了した。


c0144828_1628727.jpgその後、石井は皮膚科医の父の仕事を手伝い、

2000年の「DOOR」を最後にシングル曲の発売がストップ。

03年からは化粧品の開発、販売が本業となり、

たまにライブハウスのステージに立つ程度だった。

が、胸の内に秘めたシンガー魂は再び、

沸々とわき上がる。昨年の冬、本格的な歌手活動再開へ向け、

八代亜紀のヒット曲「舟唄」などを手掛けた浜氏と話し合ったところ、

巡り合ったのが「この…駅で」だった。

歌謡曲調のメロディーに乗せ、駅の改札口で愛する人を

待つ女心を歌った同曲。

97年4月に直腸がんで亡くなった大津さんが病床で綴った詞に、

見舞いに訪れていた浜氏が曲をつけ、

同年9月に浜氏自らが歌って発売したアルバム「10$の純情」に収録された。

c0144828_1633568.jpg高橋真梨子の「for you…」、徳永英明の「輝きながら…」などを

ヒットさせた大津氏の、まさに“遺作”。

これまで浜氏以外が歌うことはなかったが、

石井の「歌謡曲を歌いたい」という熱意が心を動かし、

初のシングル化が決まった。


石井は「11年ぶりに素晴らしい曲に出会えて、

そしてリリースさせていただける幸運に感謝しています」

と喜びのコメント。

続けて「歌も命と同じく、誕生してたくさんの方々に愛されてこそ、

成熟していくもの。そんな歌を大切に育てていける

シンガーになれるように頑張っていきたい」と意気込んだ。

隠れた名曲とともに、復活の道のりを歩む。

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by a19750601 | 2011-05-07 09:17