高畑裕太「レイプ事件」被害者女性が明かしたあの夜の全真相

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「合意なんてまったくなかった」

示談の後、高畑側が一方的に「あれは和姦だった」と公表したことで、私は二度レイプされた気持ちです。合意なんてまったくなかった。いまでも、あの恐ろしい目を思い出すと身体が震えます。

「私は被害者なのに……」。あまりに事実と違う報道を目の当たりにして彼女は愕然とした。衝撃の逮捕から50日あまり。被害者の女性が沈黙を破り、「あの夜」のすべてを語る。

悔しくて涙が止まらなかった

「相手方の弁護士のFAXのコメント内容を知ったとき、全身から血の気が引くのを感じました。

まるで私がウソをついたかのようなことが書かれていました。私が悪かったというのでしょうか。なぜ加害者のように扱われるのでしょうか……。二度目のレイプをされたような気持ちです。悔しくて悔しくて涙が止まりませんでした。

示談後、加害者側の弁護士は一方的に『強姦ではなかった。合意があった』というような主張をしていますが、事実ではありません。真実を知ってほしいと思いました」

震える声でこう話す女性こそ、8月23日未明、俳優の高畑裕太(23歳)にホテルの部屋に連れ込まれ、レイプされた被害者Aさんだ。彼女はあれからどんな思いで日々を過ごしてきたのか。

彼女の代理人を務める弁護士の同席のもと、後にも先にも1回きりという条件で、3時間にわたって本誌のインタビューに応じてくれた。

c0144828_1361165.jpg群馬・前橋市内のビジネスホテルのフロント係として勤務していたAさんは、映画の撮影のためホテルに宿泊していた高畑に性的暴行を受けた。Aさんは右手首と指にけがを負い、知人男性の協力を得て群馬県警前橋署に被害届を提出。高畑は容疑を認めて、同日午後に逮捕された。

高畑にかけられた容疑は強姦致傷。執行猶予はつかず、相当長期(24ヵ月以上)の実刑判決が下ると予想された。ところが、事件は予期せぬ結末を迎える。

事件から17日後の9月9日、示談成立を受けて高畑は不起訴になり、同日に釈放されて、埼玉県内の病院に入院した。

状況が一変したのは、この同日だった。高畑の代理人を務めた「法律事務所ヒロナカ」(弘中惇一郎代表)が声明文を発表し、こう主張したのだ。

〈高畑裕太さんのほうでは合意があるものと思っていた可能性が高く〉

〈呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかった〉

〈違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件〉

c0144828_1371912.jpgこれを受け、ネット上では「最初から金目当てだったのか」などと被害者であるAさんを中傷する意見が飛び交った。

さらに追い打ちをかけたのは、その後の報道だ。不起訴となり釈放されるや否や、無責任な憶測や、高畑サイドの言い分に乗るような推測が次々に報じられた。

Aさんがとりわけショックを受けたのが、9月21日発売の『週刊文春』の特集記事だ。関係者の証言や捜査資料を元にしたとして、大略、以下のような内容であった。

〈被害女性は高畑の誘いに乗って部屋に行き、行為の求めに応じた〉

暗に強姦の事実を否定する内容だったのだ。

大谷亮介が高畑裕太の父と判明!

高畑淳子との不倫の末の息子


c0144828_1381062.jpg一方的な報道に…

示談後、Aさんの代理人を務めることになった入江源太弁護士が言う。

「今回私は、検察、警察に内容証明を送付したうえで、責任者と面談しました。その結果、週刊文春の記事の内容に強い疑問を持ちました。

同誌の記事は、高畑氏の供述に一方的に依存してつくられた感が否めません。高畑氏の話がそのまま断定的に掲載されており、被害者の話とはまるで食い違っています。

また法律家として、高畑氏の供述内容を誰がリークしたのかという点も問題視しています。面談した検察と警察の責任者は『一切情報の流出はない』と全面否定をしていました。

では、誰が情報を流出させたのでしょうか。流出元が明らかでない情報によって被害者が一方的に傷ついていますが、このようなことがあって良いのでしょうか」

あの夜、いったい何があったのか。Aさん本人が振り返る。

部屋に歯ブラシを届けた経緯

加害者(編集部註・Aさんは高畑のことをこう呼ぶ)と最初に会話したのは事件が起きる数時間前のことです。

「近くに飲食店はないですか?」

と声をかけてきた加害者に飲食店が掲載された冊子を渡しました。

当日の私の服装について、週刊文春には黒いTシャツに、ジーパン、エプロン姿でフロントに立っていたと書かれていましたが、まったく事実とは異なります。

私は他の従業員同様、制服を着用していました。上は白いブラウスに制服のベスト、夜だったのでジャケットをはおらず、その上に黒のVネックセーターを着ていました。下は、黒のスラックス。勤務中にジーパンをはくことはありえませんし、Tシャツも同様です。エプロンをつけてフロントに立つこともありません。

ホテルを出た加害者が一人で戻ってきたのは、深夜の1時40分頃だと思います。そのとき、フロントにいたのは私だけです。深夜の時間帯は交代制で、一人がフロントに立ち、もう一人が仮眠をとる形でした。

加害者が他愛もないことを話しかけてきましたが、明日も朝早くから撮影ということだったので、

「早く寝たほうがいいんじゃないですか」

と応じた記憶があります。ただ、なかなかフロントから離れようとせず、


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「この後、休憩は何時なの?」

と絡んできました。

「かわいいね」

などと結局、5分くらい一方的に話しかけられ、その際、

「あとで部屋にマッサージに来てもいいよ」

と言われたことは覚えています。これについてははっきりと、

「行きません」

と答えました。このことは警察にも話しています。

しばらくすると、エレベーターで4階の部屋に戻ったと思っていた加害者が1階から階段を上ってきて、また2階にあるフロントに現れたので、

「あれ、まだ休んでないんですか」

と声をかけました。

「歯ブラシを取りに来た。悪いけど、5分後くらいに部屋に持ってきて」

そう加害者が言うので、私は仕方なく、

「では、あとでお持ちします」

と答えました。それを聞いた加害者は、やっとエレベーターで部屋に上がっていきました。これが1時55分頃のやりとりです。

c0144828_13292281.jpgなぜ歯ブラシを直接部屋に持っていくと伝えたのか、不思議に思われるかもしれません。もちろん私が職場を放棄して、加害者の部屋に向かったわけではありません。

午前2時からちょうど休憩時間だったので、歯ブラシを持っていって、そのまま休憩に入ろうと考えていたんです。加害者は有名人ですから、世間体もありますし、まさか危ない目に遭うなどとは、まったく考えませんでした。たんに酔っぱらったお客様にこれ以上絡まれるのがイヤだったんです。

ただ、そのことで加害者に「自分から部屋に来てくれた」と主張する口実を与えてしまったことが、悔やまれてなりません。

このとき、私に代わってフロントに立つ別のスタッフがまだ来ていなかったので、〈いまフロントを空けています〉というメモを残し、深夜2時に歯ブラシを持って、一人で加害者が泊まっている405号室に向かいました。

避妊具もつけずに……

部屋をノックしたところ、ドアが開いて、加害者が現れました。

その次の瞬間です。加害者の手が私の右手に伸びてきて凄い力で掴まれたかと思うと、部屋の中に引きずり込まれ、そのままドアのすぐ左側にあったベッドに突き倒されました。

ベッドに押し倒されると、すぐ耳元で、

「脱げ」

と低く凄みのある声で言われました。フロントでは、単なる酔客の悪ふざけという雰囲気でしたが、目つきといい声色といい、まるで別人のようでした。とにかく、恐ろしかった。

私を押し倒した加害者は無理やりキスしてきました。お酒臭かったことを覚えています。あの日、加害者は白いTシャツにハーフパンツという格好でしたが、気づくと全裸になっていました。

加害者はしつこく私の服を脱がせようとしましたが、必死に抵抗しました。それでもブラウスや下着の下に手を入れて、身体を触ってきました。

なんとか上半身は脱がされませんでしたが、ふとした瞬間にズボンを下ろされてしまいました。とっさに私は、

「生理中だから」

とウソを口にしました。そう言えば、あきらめてくれると思ったからです。しかし、加害者は、避妊具もつけずに性行為に及んで……。私は、

「やめてください」

と訴え続けましたが、

「いいから黙れ」

と脅すように言われました。

いま思えば、大声を出せばよかったと思います。検事さんにも「なぜ大声を出さなかったのか」「なぜ壁を叩かなかったのか」などと訊かれました。でも、私にはそれができなかった。

まずホテル従業員として自分のことで騒ぎが起きて、他のお客様やホテルに迷惑をかけてしまうことを恐れたということがあります。

そしてなにより加害者の目つきが怖かったのです。

釈放された加害者は、警察署の前で迎えの車に乗り込む際、睨むような異様な目つきをしていたと思います。あの夜の目つきは、それ以上に怖いものでした。いまでも突然、あの目がフラッシュバックして、私を苦しめます。

しかも、加害者は背が高く(181cm)、力も凄く強かった。

頭も押さえつけられて、髪はグチャグチャになっていました。もし声をあげたら、もっとひどいことをされるし、大ケガをしてしまうと思ってしまいました。

大きな声を出すことによって何をされるかわからないという恐怖心は性犯罪の被害者にしかわからないと思います。自分の身を守るためには嫌でも相手の言いなりになるしかなかったのです。

「動かせ」

というようなことを言われました。

「咥えろ」

と言われたこともはっきりと覚えています。頭をつかまれて、局部のほうに持っていかれ、

「いいから舐めろ」

とも言われました。


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「出していいだろ」

性行為が何分続いたのか覚えていません。ただ、無理やりだったので痛かったことだけは覚えています。加害者は、

「(精液を)出していいだろ」

と言ってきましたが、

「やめてください」

私は必死に訴えました。しかし、加害者はこう言ったんです。

「生理だったら大丈夫だろう」

そのまま、中に出されてしまいました。そのときの怒りを通り越した絶望もまた、性犯罪の被害者にしかわからないことだと思います。

性行為が終わると、加害者は「すっきりした」という様子で私から離れました。ようやく解放された私は逃げるように部屋を出て2階にあるトイレに駆け込みました。

トイレの中では震えが止まりませんでした。もう、仕事ができる状態ではなかったので、トイレから出ると、もう一人のスタッフに、

「悪いけど、帰ってもいい?」

と伝え、私はホテルを出たんです。

以上がAさんの証言である。Aさんには合意の感情はまったくなく、高畑の行為は完全にレイプ、罪名にするなら文字通り「強姦致傷」である。


入江弁護士が指摘する通り、高畑の供述をベースにした週刊文春などの報道は、Aさんの証言とあまりに食い違っている。

高畑の言い分に依拠した週刊文春の記事(9月29日号)ではこうなっている。

〈意地になっていた高畑は叫んだ。

「歯ブラシが欲しいんじゃなくて、部屋に来て欲しいんです!」

粘りに根負けしたのか、吉田さん(編集部註・Aさんの仮名)はフロントを出た〉

〈そして二人を乗せたエレベーターのドアが閉まるや否や、高畑は吉田さんに唇を押し付けた。

「一瞬、僕の両肩を抑えたり、口をつぐむなどはありましたが、すぐに舌が絡まり合う感触を感じました。激しい抵抗感を感じなかったので、僕はいけるみたいなことを思いました」〉

これを読めば、まるでAさんが高畑を受け入れたかのように思えてしまう。エレベーター内の出来事は、強姦か和姦かを分ける重要なポイントだ。

Aさんはあきれながらもこう反論する。


「キスをしたなんて絶対にない。そもそも私はエレベーターに一緒に乗っていません。

ホテルのエレベーターにはカメラがついていないから、そんな適当な話をするのでしょうか。ビジネスホテルの従業員がお客様と二人でエレベーターに乗ることはありません。もし乗るとするならば、お客様が部屋の中に鍵を置き忘れて外出してしまったときくらいです」

食い違いはこれだけではない。高畑側の主張によれば、エレベーターを出ると、二人はスタッフの目を気にして時間差で部屋に入ったという。

〈彼女は閉まりそうなドアを手で開けて、部屋に入ってきました〉

さらに部屋での性行為について、高畑はこう供述している。

〈少なくとも女性が泣き叫び助けを呼ぶような事はありませんでした。押さえつけたり、脅迫もしていない。ベッドに倒れ込んだとき、頬に手を当てられ『生理中だからダメ』と言われたが、拒否している感じではないと思いました。彼女は決して受身ばかりだったわけでもないし、逃げようと思えば逃げられたはず〉

〈彼女は右手の手首や親指を打撲したと主張していますが、行為の最中に、彼女が右手を動かしていたことをはっきりと覚えていますし、少し疑問です〉

Aさんが性行為に対して積極的だったと言わんばかりである。

言うまでもなく、これら高畑の主張はすべてAさんの告白とは正反対だ。

取り返しのつかない傷

どちらが真実か、それを知るための、重大な物的証拠が一つある。それは、警察に提出した後、最近になって戻ってきた事件当日にAさんが着ていた衣服の一部だ(雑誌上では写真を公開)。

週刊文春の記事にあるTシャツとジーパンにエプロンという衣装でないことは明らかである。服装すら間違えている、高畑の主張に拠った一連の報道は疑わしいと言わざるをえない。

高畑の行為が、Aさんに取り返しのつかない深い傷を負わせたことは言うまでもない。

Aさんが語る。

「加害者がお酒を飲んで性的欲求が高まって、たまたまフロントにいた私が手っ取り早くターゲットにされてしまったんでしょうか。

加害者からしてみたら、客であり、タレントである立場で、私のこともたかがホテルの従業員として見下していたんでしょうね。ただ単純に性的欲求の道具に使われたとしか考えられません。本当に、思い出すと怖くていまも身体が震えます」

さらに、苦しみはこれだけで終わらなかった。Aさんは性犯罪の被害者にもかかわらず、その後、日本中から「美人局」というあらぬ疑惑を抱かれることになる。

なぜAさんは示談したのか。そして警察に通報したとされる知人男性は、どのような役割を果たしたのか—。


なぜ私は示談したのか」高畑裕太レイプ事件、被害者女性が告白



「知人男性」は何者なのか

「心はいまだに闇の中にあり、傷も一生消えないような苦しみにあります。なぜこんなに不安を感じているのかも、正直いまだによくわかりません」

こう話すのは、俳優の高畑裕太(23歳)によるレイプ被害を受けたAさんだ。本誌の先週号にて、Aさんは、高畑による「強姦致傷」がどのようなものだったか、勇気を振り絞り、以下のように赤裸々に明かした。

・ドアを開けた瞬間に、凄い力で部屋に引きずり込まれ、耳元で『脱げ』と言われた

・頭を押さえられ、『咥えろ』などと命令された

・ホテルの従業員が騒ぎを起こすわけにはいかず、なにより高畑の目つきが恐ろしく、大声を上げることはできなかった

・必死に抵抗を続けたが、最後はズボンを脱がされて無理やり挿入されてしまい、中で射精された

これは「高畑裕太さんは合意があると思っていた」とする高畑側の代理人の主張や、高畑の供述に基づいて作成された週刊文春9月29日号に掲載された記事の内容とはまったく異なるものだ。

だが、「合意の感情は一切なかった」というAさん本人の告白を受けてもなお、高畑側の弁護士はすぐさま10月14日に、

「女性のお話によっても、明らかな暴行や脅迫は認められないものと認識しています」

というコメントを発表した。こうした一連の高畑側の主張は、様々な憶測報道を呼び、事件当日以降もAさんを苦しめ続ける要因になっている。

「事件を警察に通報したAさんの知人男性は暴力団関係者で、Aさんに診断書を取るために病院へ行くよう指示した」

「知人男性は高畑側と示談をめぐって交渉し、破格の示談金を要求した」

——こうしてAさんは性犯罪の被害者でありながら、「金目当ての美人局」という疑惑をかけられてしまう。

知人男性は、どのような役割を果たしたのか。そして、なぜ示談をしたのか。今回、ついにAさんが事件の最大の謎を明かす。

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加害者(高畑)にレイプされた後、怒りを通りこした絶望的な気持ちを抱えたままホテルを出て、あてもなく車を走らせました。警察に通報することも考えましたが、家族に伝わってしまうかもしれないと考えて躊躇してしまいました。強姦されたなんて、家族には絶対に言えません。

私が被害に遭ったことを知ったら、家族はショックを受け、ひどく傷つくでしょう。その結果、家族関係までぎくしゃくしてしまうかもしれないと考えました。

一人で抱え込むべきか、それとも警察に言うべきなのか。どうしていいかわからず、結局、ホテルの近くに住む知人男性に相談することにしました。


その知人の職業について、いろいろメディアに書かれたそうですが、相当昔にやんちゃをしていて暴力団に関係していた時期が少しあったということを聞いていますが、現在は、一切暴力団関係者との付き合いはなく、普通の仕事をしている男性です。

自分がされたことを知人に打ち明けた瞬間、はじめて涙が出てきて、泣き崩れました。必死に我慢していたものが、一気にあふれてしまったのだと思います。私の話を聞いた知人は、

「それは明らかなレイプ事件だよ。傷つけられた人が我慢することなんてないよ」

と言ってくれ、被害届を出すようにアドバイスしてくれました。しかし私は、警察に事情を説明することも嫌でした。そこで知人が、

「俺が警察に電話するから」

と言って通報し、そこで警察の指示に従い、ホテルに引き返しました。ホテルに着くと、すでに警察の方がいて、その際、

「体内に(加害者の)精液が残っているのであれば、それは証拠になります。一緒に病院に行きましょう」

という説明がありました。警察の車に乗り、女性警察官の方と一緒に群馬大学医学部附属病院の産科婦人科に行ったのです。

病院では、膣内に残っている精液を採取された後、用意されていたアフターピルを服用しました。病院を出たのは、午前8時か9時頃だったと思います。その後、知人と一緒に前橋署に向かい、再び事情を聴かれました。

闘う心が折れた瞬間

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一部の報道では、知人の存在が事件解決のネックになったと書かれていたと聞きました。たしかにホテルで加害者側の関係者と顔を合わせたとき、警察官の目の前で、知人が「なんてことをしたんだ」などと大声を出したことは事実です。

しかし、レイプされた私のために感情を露にして怒ったことが、責められることなのでしょうか。知人は示談交渉には一切関与していません。

前橋署の会議室で、加害者が所属していた芸能プロダクションの社長らが、私と知人に向かって、「示談にしてほしい」と言ってきました。それを受けて、双方の弁護士同士で交渉が始まりました。知人が交渉の場に立ち会ったことはありませんし、示談交渉について双方の弁護士と話をしたこともありません。


示談後、Aさんの代理人を務めている入江源太弁護士が補足する。

「もし仮に美人局の事実があったとしたならば、高畑氏は恐喝罪の被害者になりますから、加害者の代理人もそう主張していたでしょう。そもそも『美人局』という言葉はマスコミから一方的に出たもので、加害者弁護士サイドも美人局などということを一切口にしていません。

示談内容についても無責任な報道が次々となされて、Aさんは困惑しています。示談について、Aさんは当時の弁護士に一任しており、経緯の報告を受けていただけです」

今回の事件が様々な憶測を呼んでしまった一番の原因は、私が急に示談したからだと思います。

私は加害者に対し、絶対に許すことはできないと思ってましたし、刑務所に行ってほしいとも考えました。

しかし、前橋地検で行われた聴取で心が折れてしまったのです。

聴取を担当してくださったのは、若い男性検事さんと女性検事さんです。ただでさえ、初対面の人に被害内容を話すことは憚られます。

ところが、担当の女性検事さんから、

「なぜ大きな声を出さなかったのか」

「なぜ壁を叩かなかったのか」

などと淡々とした口調で質問を浴びせられ、だんだん自分に非があるのかもしれないと思ってしまいました。そして、女性検事さんから、

「自分の身を守るためなら大声を出すべきだったと思う。何でそうしなかったの」

という言葉を聞き、検察は自分を守ってくれるところではないと思ってしまったのです。

さらに検事さんからは、強姦致傷罪の場合、裁判員制度の対象にされるという説明もあり、

「裁判員裁判になれば、相手側の弁護士からもっときつい追及がある」

と訊かされ、裁判が進めば、加害者側の弁護士に何をされたのかを根掘り葉掘り聞かれて、検事さんの事情聴取のほかに裁判所でまた恥ずかしい思いをすることになるのかと思いました。

その日の聴取は5時間に及びました。

もちろん、検事さんがしつこく確認するのは加害者の有罪を立証するためだと理解しています。しかし、聴取を終えたときには、これ以上つらい思いをするなんてもう耐えられない、被害にあった私を守ってくれるところはどこにもない、早く終わりにしてしまいたい。そう思うようになり、それ以上何も考えることができず、もう終わりにしたほうがいいと考えるようになりました。

これが示談に応じた理由です。正直、示談したことが正解だったのかわかりません。いまでも気持ちが整理できず、食欲もわかず、体重が落ちてしまいました。頑張って食べても吐いて戻してしまうのです。

被害者にしか分からないこと

家族の前では以前と何も変わらないように努めていますが、一人になったときにその反動が押し寄せてきてしまいます。

テレビもインターネットも極力見ないようにして、ベッドで横になっている時間が多いのですが、目を閉じると、突然あの夜の加害者の目がフラッシュバックするんです。加害者は釈放されたときに睨むような目をしていましたが、あれよりも鋭い目つきです。怖くなってしまい、結局、毎日2時間くらいしか眠ることができません。

以上がAさんの証言である。彼女の悲痛な言葉は、裏を返せば、性犯罪被害の実態を訴えることができない女性が数多く存在するという現実を物語っている。

現在、高畑は埼玉県内の心療内科の専門病院に入院しているという。

Aさんに高畑への思いを聞いた。

「いまは自分のことで精一杯です。しかし、釈放後は謝罪ではなく、むしろ開き直りともとれる加害者側弁護士のコメントを知り、怒りを覚えます。

私の容貌や自宅が特定されかねない報道もあり、本当に怖いんです。被害者にしかわからない恐怖、痛みをわかってほしいと思います」

今回の事件は、芸能一家に起きた衝撃的な事件として世間の注目を集めた。しかし、芸能人が関わる事件だからと言って、被害者について何を報じてもいいというわけではない。性犯罪の被害者がどれほど深い傷を負い、苦しむのか。その現実を忘れてはいけない。

高畑裕太に性的暴行された従業員

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by a19750601 | 2016-10-24 11:50

沢田研二がライブで観客にキレた


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黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!

1月20日、都内で行われた「沢田研二正月LIVE」の会場で突然、

観客に向かって罵声が飛んだ。

声の主は事もあろうか、沢田本人だった。

「ライブが始まって2時間経ち、最後のおしゃべりの時間に“事件”は起きた。

ジュリーはイスラム国の人質事件に触れた。

『日本の将来を憂うのではなく、自分自身の頭と心で考えなければなりません』と

話をしていると“歌って~”と叫んだ人がいた。

それに対して、ジュリーはキレて暴言を吐いたのです」



沢田もすでに66歳。かつての格好良さは薄れ、

最近は「激太り」が取沙汰されるほどだが、

体型だけでなく、言動にも変化が起きている。

「4年前の東日本大震災をきっかけに政治への関心の高さを示す発言が多くなった。

昨年7月の渋谷でのコンサートでも、

『あっかん、アベー(安倍首相)』と安倍政権を茶化したり、

歌も被災地への祈りや反原発といった平和をテーマにしたものが増えた。

12年の衆院選では、反原発の旗手、

山本太郎氏(現・参議院議員)の応援演説をして話題になった。

昔のジュリーとは明らかに違います」


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また、昨年3月の毎日新聞のインタビューでは〈今の芸能人は

みんなが“いい人”と思われたい症候群になっている。

こういう雰囲気が嫌い〉と芸能界批判ともとれる発言までしている。

「この発言が象徴するように沢田は自ら今の芸能界に一線を引いている。

事務所は個人事務所でCDも自分だけのレーベル。

音楽活動も一連の言動もすべて沢田の判断に委ねられ、意見を言う人はいません」

かつては化粧や肌を露出した衣装でも話題を集めた沢田だが、

内面はそのイメージとは正反対だという。

「沢田を“イモジュリー”とからかった男性と喧嘩して話題になったこともあるほど、

本来、男気が強く喧嘩っ早い人。

歳を重ね、芸能界の大枠からも外れて、

本音で活動するようになった結果が、今回の騒動に繋がっただけ。

本人は気にしていないと思います」

“勝手にしやがれ!”とファンが離れなければいいが。



黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!

1月20日、都内で行われた「沢田研二正月LIVE」の会場で突然、

観客に向かって罵声が飛んだ。

声の主は事もあろうか、沢田本人だった。

「ライブが始まって2時間経ち、最後のおしゃべりの時間に“事件”は起きた。

ジュリーはイスラム国の人質事件に触れた。

『日本の将来を憂うのではなく、自分自身の頭と心で考えなければなりません』と

話をしていると“歌って~”と叫んだ人がいた。

それに対して、ジュリーはキレて暴言を吐いたのです」



沢田もすでに66歳。かつての格好良さは薄れ、

最近は「激太り」が取沙汰されるほどだが、

体型だけでなく、言動にも変化が起きている。

「4年前の東日本大震災をきっかけに政治への関心の高さを示す発言が多くなった。

昨年7月の渋谷でのコンサートでも、

『あっかん、アベー(安倍首相)』と安倍政権を茶化したり、

歌も被災地への祈りや反原発といった平和をテーマにしたものが増えた。

12年の衆院選では、反原発の旗手、

山本太郎氏(現・参議院議員)の応援演説をして話題になった。

昔のジュリーとは明らかに違います」


また、昨年3月の毎日新聞のインタビューでは〈今の芸能人は

みんなが“いい人”と思われたい症候群になっている。

こういう雰囲気が嫌い〉と芸能界批判ともとれる発言までしている。

「この発言が象徴するように沢田は自ら今の芸能界に一線を引いている。

事務所は個人事務所でCDも自分だけのレーベル。

音楽活動も一連の言動もすべて沢田の判断に委ねられ、意見を言う人はいません」

かつては化粧や肌を露出した衣装でも話題を集めた沢田だが、

内面はそのイメージとは正反対だという。

「沢田を“イモジュリー”とからかった男性と喧嘩して話題になったこともあるほど、

本来、男気が強く喧嘩っ早い人。

歳を重ね、芸能界の大枠からも外れて、

本音で活動するようになった結果が、今回の騒動に繋がっただけ。

本人は気にしていないと思います」

“勝手にしやがれ!”とファンが離れなければいいが。

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by a19750601 | 2015-01-21 12:15

美川憲一衝撃告白!宮沢りえ破局に関係していた「私がぶっ壊したのよ」

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歌手の美川憲一が5日、

読売テレビ番組「上沼・高田のクギズケ!」(日曜、前11・40)に出演。

9月23日に死去した女優・宮沢りえの母で

所属事務所「エム・ツー企画」の代表取締役・宮沢光子さんに依頼され、

貴花田(現貴乃花親方)との婚約を解消するよう、

りえに電話で説得したことを告白した。

りえは1992年11月27日、貴花田と手をつなぎ、

幸せいっぱいのツーショット婚約会見。

“世紀の結婚”と注目を集めたが、

翌93年1月25日、史上最年少大関を決めた貴花田が

「連絡もとってないし、会ってない」と話し、大騒動に。

同27日、りえが破局会見を行い、「残念です」と破談を認めた。


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りえママと「仲がよかった」という美川は、

婚約したときにりえママから電話があった。

やっぱり、嫁ぐところが相撲の世界だから、

りえがおかみさんになれる(おかみさんとして

やっていける)ということはありえないと思うのよ
』って。

それで頼まれてぶっ壊したのよ


と婚約を解消するよう、りえを説得したことを衝撃告白した。

当時、滞在先のロサンゼルスからりえに電話をかけ、1時間ほど話し込んだという。

「本当にお嫁に行きたいの?」と聞くと、りえは「行きたい」ときっぱり答えたという。

しかし、美川は

「あんたは背負ってるものが重すぎる。あんたも母一人子一人。私も2人の母(生みの母と育ての母)を

背負ってきた。そういう家庭に生まれたらしょうがない、運命だから。おかみさんになったら、

お母さんどうするの?ずっと面倒みていかないといけないのよ」と語りかけた。

c0144828_1942721.pngりえは、電話の向こうで「泣いていた」という。

それでも、美川は「あんたもここで、好きだから、って

一緒になるんじゃなくて。もう一回考え直して。

女優として大成するんだから」と説得したことを明かした。



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美川はりえを妹のようにかわいがっており、

破局会見当夜、りえママ、

相談相手だった故木原光知子さんと共に自宅でりえと

深夜まで過ごし、励ましていた。

美川憲一が20年以上も前のスキャンダルの真相について“全開状態”だ。

婚約を解消した宮沢りえ(41)と貴乃花親方(42、

当時は貴花田)に何があったか、公の場で話しているのだ。

実はりえママの光子さんに、

「りえが女将さんなんてありえない。りえを説得して」と頼まれてりえに、

「あなたが光子の子供に生まれたのは宿命だと思って。

c0144828_19111669.jpg私も2人の母親の面倒を見ている。

あなたが嫁に行ったら誰がお母さんの面倒を見るの。

もう1回考えなおして」と説得したと

「ノンストップ!」(フジテレビ系、10月16日)の中で語った。

だが、これだけではない。

そもそもの発端は10月5日放送の

関西ローカル番組「上沼・高田のクギズケ!」(読売テレビ)。

ゲスト出演した美川が婚約解消のキーマンは自分と衝撃告白。

りえに電話して「あなたは背負っているものが多い。

母ひとり子ひとりで、お母さんが凄い犠牲になってきている。

女将さんになったらどうするの? 

ずっと、面倒を見なきゃいけないのよ」と諭し、

「もう1回考え直して。あなた、女優として大成するんだから」と説得したと。

「りえは電話の向こうで泣いていた」という。

c0144828_19131820.gifこの番組での告白をスポーツ紙が記事にし、

「ノンストップ!」がそれを受けて美川に独自に取材し、

真相を確かめたところ、その事実を認めたものだ。

りえママと親しかった美川が、

9月にりえママが亡くなったことで当時の思い出、

真相をということだろうが、

紅白に向けて最後のアピールの時期でもあるし……。

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by a19750601 | 2014-10-05 18:48

日テレのドラマ、放送中止応じず


日本テレビ:放送中止や謝罪には応じない

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日本テレビ系列で放映中のドラマ「明日、ママがいない」を巡り、親が育てられない子供を匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」を設置する熊本市の慈恵病院が日本テレビに放送中止などを求めた問題で、日本テレビは20日、放送中止や謝罪には応じない考えを病院側に伝えた。


病院は「児童養護施設の子供たちへの差別を助長する」として、日本テレビに放送中止を求めていた。同病院は近く、放送倫理・番組向上機構(BPO)に審議を申し入れる。

15日に放映開始されたドラマは児童養護施設が舞台。赤ちゃんポストに預けられたという設定の子役が「ポスト」のあだ名で呼ばれるなどしている。


同病院は、日本テレビに倫理上の問題について製作段階でどんな議論をしたのかも尋ねていたが、それについての回答はなかったという。記者会見した同病院の蓮田健・産婦人科部長は「一生懸命作られていることは分かるし、素晴らしい部分もあるが、人を傷つけてしまっていると思われる部分があることは残念だ」と述べた。
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by a19750601 | 2014-01-20 18:00

キャンディーズ、デビュー40周年書籍

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グループ「キャンディーズ」の芸能活動5年を記録した

書籍 「キャンディーズ『アン・ドゥ・トロワ』」 が

発売されることが発表された。


デビュー40周年を記念したもので、

約3年前から企画、準備がスタート。

キャンディーズ、デビュー40周年書籍

元メンバーの女優・伊藤蘭と藤村美樹も

「ぜひ、進めてほしい」と趣旨に賛同したという。

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ボックス入りの3冊セットで、

第1巻はレコード・ジャケットやポスターなどのために

写真家・篠山紀信氏らが撮影した写真から未発表のものを

約500枚集めた写真集。

退色や発色の補正を行って当時の色を再現した。


第2巻は芸能活動年表と、

1973年9月1日のデビューから現在までにリリースされた全作品を紹介する

完全ソフトカタログ。

年表はスタッフが国会図書館に4か月通い、

当時のテレビ欄などを細かく調べた。

第3巻は貴重資料集。

解散コンサートの台本や、解散を発表したコンサートで藤村さんが

客席に投げ込んだ金のブレスレットなど、

当時の関係者やファンから1000点以上集めた。


c0144828_754567.jpgさらに特典として、

発行部数が少なく幻の写真集と言われる

「美樹・蘭・好子 Candies Photographs」

の復刻版が封入される。

11年4月に乳がんのため亡くなった

女優・田中好子さん(享年55歳)が

レオタード姿で実弟に“足4の字固め”を

かけられているものなど超レアな写真が満載。


完全限定予約発売(2万9800円)で、

8月27日以降発送で、

デビューからちょうど40年にあたる9月1日までに届けられる。


詳細はスペシャルサイトemoticon-0149-no.gifhttp://www.candies40th.com)。
.
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by a19750601 | 2013-04-03 18:46

尾崎豊 「伝説のライブ」 劇場映画化!

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尾崎豊の「伝説のライブ」が初の劇場映画化! 2週間限定で公開

突然の死から20年を迎えてもなお支持され続ける歌手・尾崎豊。

彼の生涯最後のツアーとなり伝説となったライブをまとめた映画 

「復活 尾崎豊 YOKOHAMA ARENA 1991.5.20」 

が、12月1日より2週間限定公開されることが決定した。 

1991年5月20日、2年半以上のブランクを経てステージに立った

尾崎を極度の緊張が襲う。「天才」と呼ばれた男が唯一見せたと

言われる「人間・尾崎」の姿がそこにあった。


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後に“伝説のライブ”と呼ばれるようになった1991年のBIRTH TOURの中でも、

初日の横浜アリーナ公演は未公開の超貴重映像が残っており、

本作で遂にその映像が解禁される。

過去にイベント上映で放映された映像はあったが、

本作は尾崎にとって初の劇場映画化作品となる。

2012年9月に開催された写真展「尾崎豊特別展 OZAKI20」には、

13日間で2万人以上のファンが来場、

特に尾崎の没後に生まれた10代のファンの姿が目立ち、

尾崎のメッセージは世代を超え、今でも支持され続けていることが明らかになった。


総合プロデューサーの須藤晃氏は次のようなコメントを発表している。

 「OZAKI 20への来場者に若い人が多くて、

その人たちからも大きなスクリーンで尾崎豊が観たいと直接いわれました。

フィルムコンサートを実現させたいという署名活動をしてくださっている方々も存じていました。

もう二度と体験できないと思われた驚愕のライブを、

もう一度なんとか実現できないかと画策してきましたが、

ちょうど横浜アリーナでのツアー初日の映像が部分的にしか世の中に出ていないことを知り、

なんとかこの映像で映画館ライブのようなものができたらという想いで

今回の公開にこぎ着けました。

日本のロック史上に大きな影響を与えた伝説のパフォーマンスを大音響の中で

皆さんで体験していただきたいと思います
」。

写真展 「尾崎豊特別展 OZAKI20」は、

東京に続き、10月10日から名古屋でも開催される。

 「復活 尾崎豊 YOKOHAMA ARENA 1991.5.20」 は、

12月1日(土)より

TOHOシネマズ 日劇ほか全国ロードショー<2週間限定公開>

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by a19750601 | 2012-10-10 06:52

ソフトバンクがイー・アクセスを買収




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ソフトバンクは10月、

イー・アクセスを買収すると発表した。

買収手続き完了後、イー・アクセスはソフトバンクの完全子会社となり、

上場は来年2月に廃止する。

これで携帯電話市場は実質大手3社体制になる


買収金額は2000億円弱と見られている。

イー・アクセスの株価は現在1万5000円前後。

ソフトバンクは5万2000円と時価の3.5倍の買収額を提示し、

破格の提示にイー・アクセスはすぐに買収を承諾したといわれている。

ソフトバンクがイー・アクセスを買収したのは、戦略商材であるiPhone5でデザリングを開始するために高速周波数帯域を確保するのが目的。買収でソフトバンクは、イー・アクセスに割り当てられている700MHz帯と国際帯域の1.7GHz帯の免許を手に入れた。

そして、2013年1月15日に予定していたデザリング開始日を今年12月15日に前倒しすると発表した。


ソフトバンクの孫正義社長は、買収会見でイー・アクセスの買収で「お客様に最高のモバイルブロードバンドを提供できる」と述べた。

一方、イー・アクセスの千本倖生会長は、「キャリア各社から提案があった中で、DNAが一番似ているのがソフトバンクだった。ゼロからリスクをとって志をもって挑戦する姿勢は弊社と似ている」と、ソフトバンクを選んだ説明した。

さらに「ソフトバンクの子会社になることで、ソフトバンクの大きなモバイルブロードバンド戦略の中で徹底的に革命の道を目指してゆきたい。

夢を共有してソフトバンクグループの一員としてナンバー1を目指す」と述べた。

しかし、合併後もイー・アクセスの取締役として活躍するのかとの記者の問いには「わからない」と口を濁している。


ソフトバンクがイー・アクセスを買収する方針を固めました。買収額は2000億円弱になる模様。ソフトバンクは携帯電話業界第3位。

イー・モバイルを擁するイー・アクセスは業界4位。ソフトバンクは、このイー・アクセスを買収して完全子会社化することで、KDDIに迫る携帯電話契約数になる見込みです。

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by a19750601 | 2012-10-09 08:14

田中好子さん一周忌

田中好子さん一周忌

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昨年4月に乳がんのため55歳で死去した

女優田中好子さんの一周忌に当たる21日、

東京・日本橋三越屋上で献花式が行われた。

親交のあった俳優津川雅彦(72)や

NHK朝のテレビ小説「ちゅらさん」で共演した国仲涼子(32)と

ガレッジセールのゴリ(39)ら芸能関係者に加え、

キャンディーズ時代のファンクラブ「全キャン連」のメンバーら300人が参列。

「あなたに夢中」などが流れる中、特設ステージに設けられた祭壇に

カーネーションをささげた。

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津川は「残された皆さんにとっては悲しい日だが、

スーちゃんは立派に仕事をやり遂げて神様に召されて天国に旅立った。

これは決して不幸なことじゃないと思いたい。

あえて“一周忌おめでとう”と申し上げたい」とあいさつした。

病床にあっても「震災被災者のお役に立ちたい」と

話していたスーちゃん。

その遺志をくんで関係者が誕生日の4月8日に

「いつもいっしょだよ基金」を創設。

記念モニュメントの注文も受け付けている。

25日からは日本橋三越新館で「田中好子展」が始まる。

「黒い雨」で女優主演賞に輝いた毎日映画コンクールの

表彰式(90年1月)で着たドレスなどが展示される。

1人500円の入場料は全額被災者のために寄付されるという。


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井伏鱒二の歴史的名著を、抑制された表現で見事に映像化。
第42回カンヌ国際映画祭高等技術委員会グランプリ受賞

昭和20年8月6日午前8時14分30秒、一瞬の閃光とともにヒロシマが消えた。 20歳の矢須子(田中好子)は大粒の黒い雨に打たれる。これが、矢須子の人生を大きく左右する雨であった。5年後、矢須子は叔父夫婦とつつましく暮らしていた。しかし、彼らは既に原爆病に冒されていた。矢須子は結婚適齢期をむかえ、何度お見合いをしても原爆病であることが噂になり破談になってしまう。どうしようもない憤りを持つ矢須子の運命は・・・。
世界的巨匠今村昌平が、少年時代からファンであった井伏鱒二の名著を映画化した。撮影には小津安二郎監督のもとで今村と助手時代を共にした川又昂があたり、落ち着いた美しいモノクロームの映像を生み出した。音楽は「乱」「嵐が丘」の映画音楽も手がけた現代音楽の巨匠、武満徹。

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by a19750601 | 2012-04-21 20:55

尾崎豊 の遺言 鮮血で綴った“謎の死”の真相

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鮮血で綴った“謎の死”の真相

伝説のロックシンガー、尾崎豊(享年26)が残した2通の「遺書」が
10日発売の月刊文芸春秋に全文掲載されることが9日分かった。


1992年に民家の軒先で全裸で死亡。その後、他殺、事故死、自殺と諸説流れ、法廷で争われるなど社会問題にも発展した。ジャーナリストの加賀孝英氏が執筆した「尾崎豊の『遺言』」では、謎に満ちた行動と死の直前の心境に迫っている。

92年4月25日、未明の東京・足立区。泥酔した尾崎さんは、面識のない民家の軒先で服を脱ぎ捨て、のたうち回り、傷だらけになって息絶えた。後で致死量の2・64倍もの覚醒剤を摂取していたことが警察の調べで判明する。

人気絶頂のロックシンガーの突然の死に衝撃を受けたマスコミなどは尾崎さんを悼む一方で他殺、自殺でっ二つになった。だが、同誌では〈尾崎が死の間際まで肌身離さず持ち歩いていたセカンドバック。この中に、小さく折り畳んだ白い封筒が入っていた。(中略)尾崎が書き遺していた「遺書」だった〉とし、当初から遺書があったことを明かしている。

1つ目の「遺書」はB5サイズのルーズリーフに記され、

縦書きの全17行。〈先立つ不幸(ママ)をお許しください〉で始まり、

〈先日からずっと死にたいと思っていました。

死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、

(中略)そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません〉。

最後は〈さようなら 私は夢見ます〉で結ばれている。


2通目の遺書は、

尾崎さんの自宅に飾られていた実母の写真の脇から見つかり、

小さく折りたたんだ便箋に繁美夫人宛なのか、

〈尾崎繁美となりたもうた女神よ〉と自身の鮮血で書いてあったという。

〈繁美、あなたは本当に女神なのですよ〉

〈××、君は間違いなく天使なのですよ〉(××は息子の実名)とあり、

〈私はただあなたを愛する名の神でありつづける〉と、

2人への愛をしたためていた。


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加賀氏が繁美夫人、遺族に徹底取材し、死へと突き進む尾崎さんの心境を綴った衝撃的なリポート。同誌の木俣正剛編集長は「尾崎さんが亡くなってから来年で20年を迎えます。ご遺族に了解を得た上で(遺書の)全文を載せることにしました」。謎の死の真相がいま明かされる。

それは、
妻の繁美さんから「裕哉(ひろや:長男)が物心つくまで
公表はしないでほしい」と頼まれていたため。
平成6年からずっと、尾崎豊が持ち歩いていたセカンドバッグに
遺言を入れて保管していたのだそう。

尾崎豊が残した遺書と遺言の内容とは一部抜粋され公開された内容は、以下のようなもの。

先立つ不幸をお許しください。

先日からずっと死にたいと思っていました。

死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか

話そうと思ったのですが、

そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。

(中略)

さようなら 私は夢見ます。


また、この遺言に加えて 遺書が残っていたこともわかった。
尾崎豊が残した遺書は、彼の母 絹江さんの遺影の脇に置かれており
1か月後になって発見された。
その内容には、妻の繁美さんと
まだ小さかった息子、裕哉さんへのメッセージが綴られていた。
その内容の一部が以下のようなもの。


私はただあなたを愛する名の神でありつづける。

(中略)

皆の言うことをよく聞いて共に幸せになって下さい。


尾崎豊が亡くなったのは1992年4月25日。
足立区の住宅街で全裸で倒れているところを発見され、
病院に運ばれたが、その日の深夜に息を引き取った。
当時、覚せい剤での逮捕歴があったことから
薬物中毒ではないか?という声や、体に傷あとがあったことから
他殺だったのではとも言われていましたが、
過剰飲酒による肺水腫であることが、正式に警察から発表されました。

※肺水腫とは?

( 肺に水分が染み出し、溜まった水分によって呼吸不全に陥る事 )
しかし、これに納得がいかないファンや実兄などから
警察に再調査を求めたことや、他殺説があることなどから
妻の繁美さんと息子の裕哉くんは、自分の身を案じて渡米していた。

2歳だった息子、尾崎裕哉も今年で22歳。
最近ではCMにナレーション出演するなど、注目を浴びていましたが
どんな思いで父の遺言や遺書に目を通したのでしょうか。

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by a19750601 | 2011-11-09 20:58

大原麗子 整形失敗で映画降板していた

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2009年8月3日に自宅で孤独死した女優大原麗子(享年62)の

ノンフィクション「大原麗子 炎のように」(青志社)が

19日に発売される。


当時の内容はココemoticon-0148-yes.gif

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生前最後の誕生日の秘蔵カットとともに、

美人女優のイメージと老いのはざまで悩んで

整形手術を受けていたことなど、

これまで知られなかった事実が明かされている。

来月3日の三回忌を前に、大原さんの本が出版される。

実弟の大原政光さんが監修し、

芸能リポーター前田忠明氏が執筆した。

美人女優と呼ばれた華やかな外見の裏で、

波瀾(はらん)万丈の人生を送り、

最後は孤独死したことで、

これまでも数々のエピソードが明らかになった。

だが、今作では、父に受けていたドメスティック・バイオレンス(DV)のほか、

俳優渡瀬恒彦、歌手森進一との結婚、離婚の真相などの、

知られざる秘話が収録されている。


c0144828_13105132.jpg中でも、驚くのは、美容整形をして、

しかも後悔していたことだ。

そして、最後まで渡瀬へ思いを寄せ続けていたことだ。

顔にメスを入れたのは、

NHK大河ドラマ「徳川慶喜」に出演した直後で、

大原さんが53歳のころ  だった。



「もうすぐ2000年がくる。自分も心機一転、何か変わらなければ」と、

一重だった左まぶたを整形した。

ところが、失敗して顔が腫れて、

映画「天城越え」第2弾を降板。

その後、再手術で可能な限りに元に戻したが、

これを機に仕事が減り、自信を喪失。

晩年のギランバレー症候群につながっていったようだ。

また、渡瀬を思い続けて、晩年も渡瀬の自宅へ頻繁に電話したり、

友人に「車で渡瀬さんの家まで行ってほしい。

前を通るだけでいいから」と頼んだりしていたという。

美人女優のプライドと、1人の女性としての

本音に苦しんでいたようだ。

また、文字通り、生前最後の姿として残る

秘蔵写真も掲載されている。

08年11月に、恩人の石井ふく子プロデューサーに

62歳の誕生日を祝ってもらったときの1枚だ。

まだまだ女優を続ける意志を持ちながら逝った、

大原さんの思いが詰まっている。

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by a19750601 | 2011-07-16 23:41