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歌手のフランク永井死去していた

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 「有楽町で逢いましょう」「君恋し」のヒット曲で知られ、戦後のムード歌謡を代表した歌手のフランク永井(ふらんく・ながい、本名=永井清人=ながい・きよと)さんが10月27日午後6時、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去した。76歳だった。連絡先はビクター音楽芸能。告別式は近親者のみで行った。喪主は姉、美根子さん。

c0144828_237249.jpg宮城県生まれ。米軍キャンプのクラブ歌手を経て1955年、ビクター専属のジャズ歌手としてデビュー。作曲家の故吉田正氏に見いだされ、門下生となり、歌謡曲に転じた。57年の「有楽町で逢いましょう」が大ヒット。幅のある低音の魅力で「都会派歌謡の第一人者」と称された。

61年に「君恋し」で日本レコード大賞。71年、歌謡曲歌手として初めて芸術選奨文部大臣賞を受けた。代表的なヒット曲は、ほかに「夜霧に消えたチャコ」「おまえに」や故松尾和子さんとデュエットした「東京ナイト・クラブ」など。


肺炎のため10月27日に亡くなった歌手のフランク永井さんは、「有楽町で逢(あ)いましょう」「東京ナイト・クラブ」などのヒット曲で知られるが、大阪を舞台にした歌も少なくない。

「なんで泣きはる 泣いてはる――」

大阪弁で歌ったヒット曲「こいさんのラブコール」(1958年)は、当時珍しかった大阪弁の歌をつくろうと、大阪・朝日放送のラジオ番組「ABCホームソング」の企画で生まれた。

作曲した大野正雄さんは、歌の収録で放送局のスタジオを訪れたフランクさんとの初対面を、今もよく覚えている。人気歌手とは知らず歌い方に「色気がない」などあれこれ注文を付けたが、苦笑いしつつ黙って聞いていたという。「あとで偉大な歌手と聞いてびっくりした。名前の通り、まじめで気さくな人だった」

「こいさん」は多くの歌手に歌い継がれている。「しかし」と大野さんは言う。「最初にあの独特の渋い低音を聞いてしまうと、あの歌を歌わせて、フランクさん以上にはまる歌手はいなかった」

 同じ大阪を舞台にしたヒット曲「大阪ぐらし」(64年)。歌詞を刻んだ歌碑が、歌に登場する法善寺(大阪市中央区)の一角にある。作詞した故・石浜恒夫さんの追悼のため04年に建てた。

 「おなごなりゃこそ 願かけまする 恋の思案の 法善寺――」

住職の神田眞晃さんによると、石浜さんの遺族が「難波のイメージによく合う」と、この曲を刻むよう希望したという。「法善寺かいわいを人情的に歌い、大阪の夜の街の風情が見えるように、優しく伝えるメロディーが印象的でした」と言う。

by a19750601 | 2008-11-02 23:20 |