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立川談志さ 喉頭がんで死去

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天才的な話芸と型破りの言動でカリスマ的な人気を博した落語家で、

元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし、

本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが

21日午後2時24分、喉頭(こうとう)がんのため都内の病院で死去した。

75歳だった。97年に食道がんを発症して以降、

晩年はがんの再発や糖尿病など相次いで病魔に見舞われながらも復活。

治療の影響で落語家の命である声を失ったが、

最後まで孤高の噺家(はなしか)らしい美学を貫いた。


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談志さん3週間意識不明のままだった

過激な言動で絶大な人気を集め、昭和と平成を代表する落語家で落語立川流家元の立川談志(たてかわ・だんし)さん(本名・松岡克由=まつおか・かつよし)が21日午後2時24分、喉頭がんのため都内の病院で亡くなった。75歳だった。

談志さんは、亡くなる約3週間前から1度も意識が戻ることなく、家族にみとられて静かに息を引き取った。52年に入門してから約60年、談志さんは休むことなく駆け抜けた。常に第一線に立ち、落語界の話題の真ん中には談志さんがいた。人気番組の日本テレビ系「笑点」の初代司会を務め、高座以外でも何かと話題を提供してくれるテレビ時代の先駆者的な落語家だった。

 若いころからスター落語家だった。16歳で入門した当時の落語協会所属の落語家は27人。江戸前の威勢の良さに痛烈な毒舌という才気活発な芸風で人気を得て、談志を襲名。古今亭志ん朝、三遊亭円楽、春風亭柳朝と「落語四天王」と呼ばれ、落語ブームを巻き起こした。66年に「笑点」を企画しスタート。初代司会者をめ、今も続く人気の原形を作った。

落語界の話題の中心にいつも談志さんがいた。78年に6代目三遊亭円生が大量真打ちに反対して旗揚げした「三遊協会」に参加予定だったが、円生が後継者を志ん朝と決めていることを知り落語協会に戻った。83年に真打ち昇進試験をめぐって落語協会会長の小さんに反発し、協会を脱退。自らを家元とする落語立川流を設立し、弟子が毎月上納金を納める新制度やビートたけしら有名人を弟子にとるBコースを創設。志の輔、談春、志らくという人気、実力ある弟子を育てた。

 「談志ひとり会」を長く続け、「芝浜」「文七元結」など古典落語の名手だった。心理を掘り下げた繊細な人物表現に、現代的ウイットに富んだ予測不能の型破りな展開は「談志教」と言われる熱狂的ファンを集めた。談志さんが出ているだけで客席は満員だった。

落語以外にも型破りな行動で話題が多かった。75年に沖縄開発庁政務次官に就任したが、二日酔いで会見に出席した問題で在任36日目で辞任。92年、瀬戸内海でサメが人を襲った騒動の時は「シャークハンター必殺隊」を結成し現地入りしてひんしゅくを買った。

数々の落語関係の本を出版し「落語は人間の業(ごう)の肯定である」「落語はイリュージョンである」など落語論を展開。11月に20代で書いた「現代落語論」を再出版。落語界の反逆児、風雲児と言われたが、これらの本は若手落語家の指標となり、落語への情熱は最後まで衰えなかった。

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天才的な話芸と型破りの言動でカリスマ的な人気を博した落語家で、元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日午後2時24分、喉頭(こうとう)がんのため都内の病院で死去した。75歳だった。97年に食道がんを発症して以降、晩年はがんの再発や糖尿病など相次いで病魔に見舞われながらも復活。治療の影響で落語家の命である声を失ったが、最後まで孤高の噺家(はなしか)らしい美学を貫いた。


所属事務所「談志役場」の社長で長男の松岡慎太郎さん(45)によると、喉頭がん(声門がん)は、08年に発症し治療したものが昨年11月に再発。医師から声帯の摘出手術を勧められたが、本人は落語家の命である声を失うことを拒んだ。体調が許す限り高座に上がり続けたが、今年3月6日の一門会(川崎市・麻生文化センター)での高座「蜘蛛駕籠(くもかご)」を最後に活動を休止していた。

by a19750601 | 2011-11-24 09:06 |