香田晋 芸能界追放
まるで別人のような姿に
サングラスとヒゲでまるで横浜銀蠅のメンバーのような姿。
演歌時代のさわやかな面影はなく全く別人に。
演歌歌手の香田晋が、体調不良による休養のはずが
事務所を辞めていることが明らかに。
現在は11歳年下の交際女性とともに、
離婚した前妻との間に生まれた長男・長女と湘南で暮らしており、
今後は実業家に転身する。
しかし、実際には円満退社ではなく事務所をクビになっており、
事実上の芸能界追放だったという。
香田晋は芸能界を追放されていた!
島田紳助とのトラブルなど衝撃の真実が明らかに…
「話し合って円満に退社しました」と事務所関係者は語っている
1989年「男同士」(作詞:星野哲郎、作曲:船村徹)で歌手デビュー。
同年、第31回日本レコード大賞新人賞を受賞。
1992年にドラマデビューを果たした。
1994年には 『夢いちど』 で紅白歌合戦に初出場している。
「あずまんが大王」ファンであり、アニメ版の25話でDVD-BOXの告知に出演した。
お気に入り詳細を見る 既に4月下旬にファンクラブ会員に 「4月25日付で(ファンクラブ運営を)終了させていただくことに至りました」
と報告。
香田の動向を把握していない元事務所
4月上旬に本人から 『事務所を辞めたい』 と申し入れがあった。その後は連絡を取っておらず、
把握していない」とコメントした。今後について事務所は 「詳しいことは分からない」 としている。
4月には「体調不良で休養」と発表されていたが所属事務所によると、
香田は数日前に体調不良を訴え、現在は自宅で静養中。
「特に病名というものはないが、疲れがあるので静養している。
復帰時期は現段階ではわからない。状況を見ながら決めたい」
と説明した。
4月5日に所属事務所の公式サイトで発表された。
当時は「約3カ月休養」(サンスポ)と数カ月後には復帰する事を匂わせる記事もあった。
キングレコードが
創業80周年、山野楽器が
創業120周年を迎えたのを記念して
3月10日に開催された
キングオールスター歌謡パレードでは
元気な姿を見せていた。
同じ事務所に所属していた音羽しのぶと。
休養にともない、
22日に参加予定だった長崎・南島原市での
NHK「のど自慢」の収録や公演など、
4月に予定されていた仕事は
すべてキャンセル。5月以降についてはキャンセルを含めて調整しているという。
事務所とのトラブルか?
香田側から 「事務所をやめたい」 という申し入れがあった後は
元所属事務所は一切連絡を取っていない(連絡が取れなかった?)という。
そして、スポーツ報知の記事によると
香田さんが事務所をやめたいという意思表示をしたのは、
事務所が休養宣言を発表する4月5日以前だという。
香田が「やめたい」という意思表示をして事務所と連絡を絶ったにもかかわらず、
事務所側が即座に契約の解除ではなく
「休養」と発表して復帰についてもコメントをしていたことを考えると、
契約解除後に事務所側がコメントしているような円満な退社ではない可能性がある。
【契約解除までの流れ】
「やめたい」 と香田側から申し入れ(その後事務所とは連絡を取らず)→
事務所は「休養」宣言→その後契約解除
2012年4月25日付けで所属事務所ゴールデンミュージックプロモーションを退社
現在の所属タレントは
松居直美さん、島崎和歌子さん、音羽しのぶさん等。以前は柏原芳恵、渡辺桂子らが所属していた。
代表取締役の市村義文は、かつて株式会社ホリプロで森昌子や山口百恵のマネージャーを務めたのち、
1977年に周防郁雄(株式会社バーニングプロダクション代表取締役)の援助により
ゴールデンミュージックプロモーションを設立。
1980年にデビューした柏原よしえの成功により、芸能プロダクションとしての基盤を確立した。
2011年10月26日発売の
44枚目ノシングルが
最後の作品
まるで別人のような姿に
サングラスとヒゲでまるで横浜銀蠅のメンバーのような姿。
演歌時代のさわやかな面影はなく全く別人に。
22日発売の週刊女性では、口とアゴにワイルドなヒゲをたくわえ、サングラス姿に変身した演歌歌手とはほど遠い風貌の香田の写真を掲載。関係者の話として、芸能界を離れ、インターネットを使った商品販売などの実業家へ転身するようだ、としている。
香田は1998年に7歳下の女性と結婚し、一男一女をもうけたが、2009年に離婚。親権は香田が持っている。
その後、11歳下の元ブライダルモデルの恋人との仲が取り沙汰されていた。同誌が現在、湘南地方で暮らす香田の自宅を訪ねると、この恋人が応対し、香田の引退について「何もお話しできる状況ではありません」などと話したという。
89年に作曲家、船村徹氏の門下生として「男同士」でデビューした香田は、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞。94年には「夢いちど」でNHK紅白歌合戦に初出場を果たすなど、若手の頃から注目を集めた。
一方で、船村門下の修業時代に鍛えた料理の腕前を生かしたマグロの解体や料理本も評判に。バラエティー番組の「クイズ!ヘキサゴンII」では、司会の島田紳助さんから“ハチマキ王子”と命名されるなど、タレントとしても人気があった。
「大ヒット曲にこそ恵まれなかったとはいえ、歌唱力と持ち前の明るさで全国的な知名度がある中堅。これから脂がのり始める時期なのに、なぜ歌手の道を投げうったのか」と別のプロダクション幹部も首を傾げていた。
by a19750601 | 2012-05-13 08:33