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宇多田ヒカルの親 藤圭子 飛び降り自殺

宇多田ヒカルの母親飛び降り自殺

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マンションは、東京都新宿区西新宿6-25-8 マンションアトラスタワー

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「圭子の夢は夜ひらく」などで一世を風靡(ふうび)した歌手の藤圭子が2013年8月22日、東京・新宿のマンション13階から転落し、死亡した。62歳だった。警視庁は飛び降り自殺とみて調べている。通夜、葬儀の日程は未定。歌手宇多田ヒカル(30)の母親としても知られる藤さんの突然の死に芸能界に衝撃が広がった。

午前6時59分、東京・西新宿6丁目のマンション前の路上であおむけに倒れ、頭から血を流しているところを見つかった。黒っぽい無地のTシャツに七分の短パン姿。衣服の乱れや争ったような跡はなかった。現場はJR新宿駅の北西約1キロでオフィスビルなどが立ち並ぶ一角。救急車の到着時に居合わせた年配の女性は「きれいな顔でした。遠目にも藤さんと分かりました」という。心肺停止状態で病院に搬送され、7時22分に死亡が確認された。新宿署に運ばれた後、知らせを受けた前夫の音楽プロデューサー宇多田照実氏(65)が身元を確認した。

c0144828_2346375.jpg新宿署によると、藤さんはマンションの13階にある知人の30代男性宅に6年前から同居。この部屋のベランダから飛び降りたとみられる。手すりの高さは115センチあり、足元にはクーラーボックスがあった。踏み台にしたかは不明。手すりの外側に片方のスリッパが引っかかり、もう片方は転落した現場近くにあった。

午前8時前、新宿署員がこの部屋を訪れたが、応答は無かった。マンションの警備員を呼び、鍵を開けたがチェーンが掛かっていた。この時、男性が玄関に現れ「昨夜一緒にいた女性がいない」と驚いた様子だったという。男性は別の部屋で就寝中で、転落に気づかなかったという。小柄で帽子を目深にかぶった藤さんと思われる女性が数回このマンションに出入りする様子が目撃されている。

遺書は見つかっておらず、新宿署に安置されている遺体からアルコールや薬物は検出されていない。新宿署は飛び降り自殺とみて調べている。

藤さんは「圭子の-」の大ヒットで一時代を築いた後に一時低迷。98年の宇多田の大ブレークで、再脚光を浴びた。それでもほとんど表舞台に立つことがなかった。06年3月にアメリカに持ち込もうとした約4900万円が差し押さえられる騒動を取材した映像が、最後のテレビ出演となった。ここ10年の様子を知る人は少なく、ロサンゼルスや国内の療養施設に身を寄せていたとの情報もある。今年3月に亡くなった恩師で作詞家石坂まさをさんの死去の際も姿を見せず、関係者を心配させていた。

c0144828_10152795.jpgデビューから45年、歌手の藤圭子(享年62)の最期は、あまりに衝撃的だった。都会の一角で、飛び降り自殺を遂げたのだ。この数年間は表舞台から遠ざかっていたが、人知れず暮らしていた彼女にいったい何が起きたのか。8月22日午前7時頃、高層ビルが建ち並ぶ西新宿に轟音が響いた

近隣に住む50代の男性は
外から『ズドーン』という物凄い音がしたんです。外の様子は気になりましたが、出勤時間も迫っていたので、その時は見に行きませんでした。しばらくして出社しようと外に出たら、あのマンション裏の道に人だかりができていたんです。私ものぞき込んでみると、黒っぽいTシャツとホットパンツ姿の女性があおむけに倒れ、地面には1平方メートルほどの血だまりがありました。その時は、若い女性に見えたのですが‥‥

まさに、倒れていた女性こそ、臨終間際の藤であった。通行人が通報した際には、心臓はわずかに動いていたが、病院に搬送された時には心肺停止状態。間もなく死亡が確認された。

同じく、転落直後に現場付近を通りかかったという30代男性は。

背中から地面に落ちたんでしょうね。驚くほど顔はキレイで、一瞬しか見えなかったけど、美人だとわかりました。でも、それ以上に頭から離れないのは、警察官や救急隊員が女性を運ぼうとしていた時の光景です。口や耳からの出血の他に、右側の後頭部が割れていて、そこからはドロッとした血塊と白っぽい脳ミソが飛び散っている状態だったんです

c0144828_10203985.jpgその後、警視庁新宿署の調べで、藤はそこに建つ28階建高層マンションの13階の部屋のベランダから転落したことが判明した。遺体のそばにあったスリッパの片方が、13階の一室のベランダから発見されたのだ。

衣服に乱れもなく、遺書はなかったものの、事件性はなく飛び降り自殺と判断された。藤はベランダに置かれた白いクーラーボックスを足場にし、高さ115センチの手すりを乗り越えて飛び降りたと見られている。

芸能記者は

その飛び降りた部屋の持ち主は、30代の男性A氏でした。A氏はマンションが完成した06年当時から藤と同居していたそうですが、警察官が午前10時頃に部屋を訪ねると『別々の部屋で寝ていたため、警察が来るまで転落したことに気づかなかった』と、ショックを受けていたそうです。その後、実況見分に立ち会い、警察の聴取には『内縁関係ではなく、トラブルもなかった』と答えています

 6年間も同居していながら内縁関係でもない、そしてA氏とは親子ほど年が離れている‥‥。藤はどんな暮らしをしていたのか。


宇多田ヒカルが、ブログ 050.gifhttp://www.u3music.com/ を10日ぶりに更新し、母の弔いは“宇多田家”が中心となって行っていくことを宣言した。冒頭でファンや関係者に感謝の言葉を並べると、その後は藤さんの訃報の際、本名を「阿部純子」とした報道が間違っていることに言及。

8月22日の朝 8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。

彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。

母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。

宇多田ヒカル


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宇多田純子です。父と離婚後も、母は旧姓の阿部ではなく宇多田姓を名乗ることを希望し、籍も父の籍においたままでしたと説明した。

父で音楽プロデューサーの照實氏と藤さんの関係について
夫婦だとか夫婦でないなんてこと以上に深い絆で結ばれた二人でした。(中略)母が最後まで頼っていた数少ない人間の一人です」。喪主は宇多田だったが「(照實氏が)私に代わって、辛い思いをしながらも、父はこの役割を果たしてくれました

と擁護した。このほか葬儀は行わず火葬のみとなった理由についても、生前に藤さんが残したという遺言書に沿った形で行ったと釈明。最後は「私も藤圭子のファンでした。今も、この先もずっとファンであり続けます」と結んだ。

このタイミングで宇多田が“緊急声明”を出した背景には、2週連続で「週刊文春」(文藝春秋)が“照實氏叩き”をしていることが関係している。8月29日発売号では実兄の藤三郎氏がインタビューに応じ、照實氏が“宇多田利権”を抱え込もうと周囲を排除した結果、孤独に駆られた藤さんの投身自殺につながったと告白。5日に発売された最新号では藤さんの叔母も同調し、遺骨は照實氏が推し進める宇多田家ではなく、生家の阿部家の墓に納めるべきであると主張した。

照實氏はこうした報道に頭を悩ませ、さらに自分のスキャンダルが出ないか心配していた。血のつながった実の娘を担ぎ出し、一連の報道にクギを刺す狙いがあったとウワサされています」(ワイドショー関係者)

c0144828_1263959.jpgブログ更新日が文春発売日と同日だったことも、“疑惑”に拍車をかけている。
「図ったかのようなタイミング。ただ、ロンドンに戻ったといわれる宇多田さんが、文春のネガティブキャンペーンを相殺するためにこのような声明を出すのかなぁ、という疑問は残る。彼女のツイッターであれば信用できるけど、ブログが更新されたのは照實氏が代表を務める有限会社『U3 Music』内でのこと。
照實氏が騒動を収束させるために、娘の“威光”を利用した可能性も捨て切れません」(週刊誌デスク)


c0144828_23515229.jpg藤圭子年譜

▼69年 「新宿の女」で歌手デビュー。

▼71年 人気絶頂期にクールファイブ前川清と結婚。

▼72年 前川と離婚。

▼79年 「もっと違う生き方をしたい」と突然引退を表明し、渡米。

▼81年 藤圭似子と改名し、芸能界復帰。

▼82年 宇多田照実氏と結婚。

▼83年 米国で長女の光(宇多田ヒカル)を出産。

▼86年 宇多田氏との離婚届提出から1カ月もたたないうちに電撃再婚。その後、同氏とは6、7回、離婚と再婚を繰り返した。

▼93年 夫の照実氏、娘の光とともに、ユニットU3を結成し、アルバム「STAR」をリリース。

▼98年 光が宇多田ヒカルとして歌手デビュー。その後はほぼ裏方に徹する。

▼00年 99年度高額納税者番付が発表され、ヒカルが年収7億2500万円で、歌手部門1位に。所属事務所取締役だった藤さんは1億7500万円。一家3人で10億円以上を稼ぐ。

▼06年 所持していた現金約42万ドル(当時約4900万円)が入った手荷物に麻薬探知犬が反応し、ニューヨークのケネディ国際空港で差し押さえられる。テレビの取材でカジノで使う金だったと説明し、「麻薬なんて全く関係ない」と主張。さらに欧州各国やオーストラリア、米国内を航空機のファーストクラスで移動。渡航先で高級ホテルに数カ月連続で滞在する生活の一端を明かし、「5年で5億円は(銀行口座から)現金を下ろした」と説明。09年に全額返還された





歌手の宇多田ヒカルさん(30)が自殺した母・藤圭子(本名:宇多田純子)さんについてのコメントを、2013年8月26日に公式サイトで発表した。

藤さんは22日朝、東京・西新宿のマンションから飛び降り、搬送先の病院で死亡が確認された。サイトには藤さんの元夫で所属事務所代表の宇多田照實さん(65)のコメントも載せられている。

「私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした」

ヒカルさんは「8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました」との書き出しから、「様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください」と経緯を説明している。

藤さんは「とても長い間、精神の病に苦しめられていました」というが、病気の性質上「本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました」と話す。

幼少期から、藤さんの病気が悪化していく姿を見ていて、

“「症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました」

といい、そんな藤さんに「私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした」と明かした。

自殺を選んだことには、

“「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかり」

だという。「誤解されることの多い彼女」だったというが、実際には「誰よりもかわいらしい人」で、「悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女」「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」と話している。


通夜や葬儀は「故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志」により行わない

一方照實さんは、今回の自殺で世間を騒がせていることについて「心からお詫びを申し上げます」と語り、ヒカルさん、照實さんを気遣うメッセージに「この場を借りて感謝の意を表明させていただきます」とした。通夜や葬儀は「故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志」により行わない。

出会った当時から「感情の不安定さ」があったようだが、「心を病んでいるというよりも、類い稀な『気まぐれ』な人としか受け止めていませんでした」といい、「僕にとっては十分に対応出来る範囲だ」と考えていたという。

しかしヒカルさんが5歳ぐらいの時から、照實さんの母親に対しても「攻撃的な発言や行動が見られる」ようになり、「光(編注:ヒカルさんの本名)と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象」になったが、攻撃した直後にはまた感情が変化し、いつも数分後は「ゴメン、また迷惑かけちゃったね」と謝ってきたという。

病院での治療を勧めると、照實さんへの不信感を抱かせることになり、「結果、本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます」。

ここ十数年、圭子さんは海外を頻繁に旅していた。

“「そのような環境の中、光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、『元気?』という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした」

そして、「僕が純子と会話をしたのは今年の8月14日でした」といい、「珍しく明るい口調で、元気そうな純子の声」で、約8分間に渡り「世間話を含め、お願いごとを何件か受け、了承」したという。

照實さんは「覚悟の上での投身自殺だったのか、衝動的に飛び降りてしまったのか、今となっては知りようがありません」「最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです」などと語っている。

by a19750601 | 2013-08-23 13:32